我慢することには慣れていた。
怒りや、悲しみ、そういったマイナスの感情を心に押し込めて、笑顔を作ることは容易かった。
けれど、蓄積されていく疲労感は、肉体的なものだけではなく精神的なものもあって、そういった類の疲労はなかなか拭えず、
ときたま、私の中で爆発しそうになる。
そういうとき、私は上手く笑えているのか、不安になる。
「……――さん?」
ああ、空が綺麗だな、なんて思いながら窓の外を眺める。
放課後の教室は人がいなくて、夕焼けが綺麗で、とても落ち着く。
「…―さん!」
私の中の濁ったものを全て洗い流してくれる気がする、朱く沈みゆく太陽の光が私も光にしてくれる気がする。
「さん!!」
大きな声で名前を呼ばれ、体が一度大きく跳ねた。
驚いて声のした方に顔を向けると、苦く笑った栄口くんの姿があった。
「何回呼んでも気が付かないから…」
「ごめんね、大きな声出して。」
まだ驚きが消えない私は、ぱちぱちと瞬きを何回か繰り返すことしか出来なかった。
そんな私を見て、彼は少し笑った。
「え、と。私、なんか変なこと、した、かな?」
「ううん、違くて…、さんの動作が…三橋に似てたから…っ」
くすくすと押し殺した笑いを零しながら、彼は申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「三橋、くん…て、ピッチャーの子、だっけ?」
「そう、あの髪の毛ぽわーんってしてるヤツ。」
(あの子に似てたのか、私…。)
なんて返事をしたらいいのか、わからなくて、戸惑っていると、それを気を悪くしたと勘違いしたのか、彼は慌てて謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、気悪くさせちゃった?」
「う、ううん!全然、気にしてないよ。」
へらり、と笑顔を見せると、彼はゆっくり一度、頷いた。
彼とこんなに言葉を交わしたのは、初めてかもしれない、と頭の隅で思う。
「あ、そうだ。私に何か用事があったんじゃない?」
「…え、あ、いや特に用事があったわけじゃ…。」
「そう?」
なら良いけど、と続けようとしたとき、目の前の彼がひとつため息を零した。
「…どうしたの?」
「え?」
「ため息、ついたから。」
「違う、んだ。」
彼が一瞬、眉根に皺を寄せ、苦しそうな哀しそうな、それでいて少し安堵するような不思議な顔をした。
「さんは、たまに消えちゃいそうな顔して、どこかを眺めてるから。」
「其処にいるのに、其処に居ないみたいな顔をするから。」
彼がぎこちなく紡ぎ出す言葉は、的確に私の箇所を付いて、私の歯車を狂わそうとする。
動揺と困惑に蓋をする、そうでもしないと、溢れてしまうから。
「や、やだな。栄口くんってば、私は別に―」
「そうやって、今度は何を隠すの?」
怒り?悲しみ?憎しみ?寂しさ?
息継ぎをしない程のテンポで、そう言われ、私の脳が鈍く音をたてた。
「な、にも…隠してなんか…」
「うそだ、」
「うそじゃ、ないよ。」
嘘、だ。本当は、この心にこびりついた泥を拭いたいのだ。少しでいい、少しでも拭えたら。
「俺はずっと気付いてたよ。」
「…さかえ、ぐち、くん?」
「さんが、ひどく哀しい人だってこと。」
ずくん、と鈍く傷んだのは、何処か。頭か、体か、心か。
「泣いていいんだよ。」
「我慢することが、偉いわけじゃないんだ。」
「泣くのだって悪いことじゃ、ないんだよ。」
だから、泣いていいんだ。
そう言われ、枷が外れたかのように目から涙が零れた。
私の頬をおおきな粒が流れる度、彼が壊れやすい硝子でも触れるかのように優しく粒を掬い取ってくれた。
(どうか、彼女に快い安らぎを。)
「どうして、わかったの?」
「…俺も同じだから、かな?」
「でも栄口くんは、私より大人、だね。」
「そうでもないよ。」
「そうでもあるよ。」
「はは、それでさ、言い忘れたことがあったんだけど。」
「うん?」
「好きです。」
「…今言うのは反則なんじゃないかな?」
「知ってる、けど好きなんだ。」
「…私もだよ。」