木々の揺れる音と鳥のさえずりで目が覚めた。
窓から差し込む陽がちかちかと光っている。
目覚ましが鳴るより早く起きるのは久しぶりだ。
ベッドから上半身を起こし、伸びをする。窓を開けると芽吹いた緑の香りが鼻腔をくすぐった。
春の香りだ。
春は心が弾む。
冬の寒さに耐えて越えて、そうして芽吹いたものたちで彩られていく景色はいつも新鮮な気持ちを与えてくれる。
準備を済ませ玄関へと向かう。
お気に入りの靴を履いて、最後にもう一度鏡で全身を確認してから家を出た。
歩きながら携帯を取り出し着信履歴の一番上をタップする。
「もしもし?」
朗らかな声に口元が緩む。
「おはよう、今から行くね」
「わかった、気をつけてね」
「うん、ありがとう」
用件のみの電話でも、こんなにも満たされる。
こんなに愛おしくても良いのだろうか。
こんなに好きになってしまっても大丈夫なのだろうか。
そんな贅沢な不安はいつでも自分の中にあった。
こんな私をどうして好きでいてくれるのだろう。
私は彼に何を与えられているのだろう。
彼が私に与えてくれる幸せと同じくらい、それ以上を与えられているのだろうか。
春の暖かい日差しを浴びながら、慣れた道を歩く。
色付いた景色に虹彩が散る。
見慣れた家のインターホンを鳴らすより早く彼が玄関から現れた。
「窓からが見えたから」
そうはにかみながら言う彼に今すぐにでも抱きつきたい気持ちになる。
こんなにも愛おしくて、失いたくなくて、こんなにも必要で。
私はいつからこんなにも我侭になってしまったのだろう。
彼の部屋はいつも優しい香りがした。彼のそれと同じ、優しくて暖かい。
「天気良いね」
彼がやわらかい笑顔を浮かべながら私の顔を覗き込んだ。
返事をしようとして、やめる。
彼の顔が眼前に迫っていたからだ。透き通った茶色い瞳がゆっくりと閉じられる。
軽く音を立てて唇を啄ばまれるといつでも気持ちが暴走しそうになった。
「…いきなりはずるくない?」
「ごめん」
笑いながら彼は私の頭を撫でた。
その手つきがあまりにも優しくて泣きたくなる。
こんな時間がいつまで続くのだろう。
決して手放したくないものだって、自分の意思ではどうにも出来ないことがある。
失いたくないものほど、簡単に失くしてしまう。
「勇人?」
小さく名前を呼ぶと、彼は微笑みを返してくれる。いつだって優しくて、いつだってあたたかい。
「…なんでもない」
「はは、なにそれ。なんか言いたいことがあったんじゃないの?」
「…天気良いね」
「…はは、そうだね」
天気が良いと嬉しいね。
そう柔らかく微笑う彼の頬に口付ける。
この気持ちが少しでも伝わればいい。
無責任なことは言えない。それでも願っているのだ。出来る限り長く、一緒にいたいと。
絡めた指に力をこめる。ぎゅうと握り返される指のひとつひとつを撫でながら必死に願った。
「好きだよ」
やわらかな声音で響く言葉は春の香りに混じって彩られていった。
Spring