俺をおかしくさせる感情の波は、いつだって何の前振りもなく唐突に俺を襲った。
太陽が地面を照りつけるような晴天の日でも、
激しく窓に打ち付けるような雨の日でも、
全ての光を遮断するような分厚い雲がかった日でも、
いつだって、そう突然に、俺に襲いかかってきた。
そういう時は、決まって泣きたいような叫びたいような気持ちになった。
そうして、無性に人肌が恋しくなった。誰だって良い、誰かに抱きしめられたり、誰かの手を握ったり、そうやって人と触れ合いたいと願った。
けれど、そんな俺の願いはいつだって虚しく宙に浮かんでは消えた。
今日もきっとそういう日だ。
空は今の俺には似合わないような青を浮かべ、雲だってひとつもありはしない、まさに晴天の日。
風はそよそよと、あたたかな陽の光を纏って、俺の肌を滑るようにして流れていた。
ひとつ息を吐くと、拳を握りしめた。そうして、この嫌な圧迫感も全て握りつぶせれば良いと思ったのだ。
けれど、そう簡単に気分が変わるわけもなく。俺はただ鬱々とした気持ちを抱いて、自分の席へとついた。
「栄口くん?どーしたの?」
ふわりと、何か甘い香りがした。春の風のような、甘くさわやかな香りだ。
彼女からはいつも甘い香りがした。俺はその香りが好きだった。
「なんでもないよ?」
前の席の彼女に、微笑みかけると、彼女はひとつ頷いて同じように微笑んだ。
「栄口くんって、たまにどっかいっちゃってるよね。」
くすり、と笑い、彼女は椅子に横向きに座り、俺の方へと顔を向けた。
椅子から投げ出された足は、地に着けずぶらりと二回、三回、振られた。その度にゆらりと揺れるスカートの裾を、無意識に追った自分が恥ずかしかった。
「そ、そう?」
慌てて目線を逸らし、宙をさまよわせると、ふと彼女と目が合った。その瞬間、深くなった彼女の微笑みは、ひどく綺麗で、俺の心臓はちくりと痛んだ。
彼女に対して抱く感情が、この年頃ならば別段珍しくはない恋情だということは、十分承知していた。
ただ自分の場合、彼女と付き合いたいとか、そういった感情がひどく薄いことが、周りとは違っていた。
今日のように無性に人肌が恋しかったりする日に、彼女と話すとひどく満ち足りた気持ちになった。
彼女を好きだと気付いてからは、それはより一層、確かなものとなった。
人なんて、そんなものだ。自覚の有無で、気持ちはおおきく左右されるものなのだ。
自己防衛によく似た俺の狡さを、彼女は知らないのだろう。
まるで騙しているかのような罪悪感は、俺に付きまとって離れなかったけれど、それでも彼女との時間は失いたくなかった。
話し、笑い合う日常を失うことは、怖かった。
「栄口くんってさ、いつも受け身だよね。」
「そーかな?」
「うん、そんな気がする。」
そう言ったあと、彼女は慌てて言葉を付け加えた。
「あ、でもね、別にそれが悪いって言うんじゃないよ。私はね、そういう栄口くんが良いなって思う。」
「…あ、うん、ありがと、う。」
まるで告白でもされたような気持ちになり、そういう意味ではないとわかっていながらも、不自然に言葉を紡ぐかたちになってしまった。
そんな自分が、恥ずかしくて、頬が熱くなるのを感じた。
「あ、っと…いや、今のはそういう意味じゃなかったんだよ?」
俺の頬の赤さに気付いた彼女は、先ほど自分が言った言葉を脳内で再生したらしく、言葉のニュアンスに危うさを感じたらしい。
俺と同じように頬を赤くして、俺と彼女の間で食い違った言葉の意味を修正した。
「う、うん、わかってる、よ。」
「や…私こそ、ごめん、ね?」
ぎこちない時間が、2人の間に流れた。数分、無言の状態が続く。
ひどく気恥ずかしいような、けれどやっぱり心地良いような、奇妙な数分間だった。
先に言葉を発したのはさんだった。
「…あの、栄口くん?」
「う、うん。」
「…栄口くんはね、いつも受け身だけど、自分の意志がないっていう受け身じゃなくて」
「人の全部を包んであげてるみたいな、あったかい受け身だから良いなって、思うんだよ…?」
微かに赤く染めた頬と、ぎこちなく紡がれていく言葉。
その言葉は、俺の奥深くにじんわりと浸透していって、思わず頬が緩む。
「うん、ありがとう。」
「…だから、私、栄口くんといると、なんか安心するんだよ。」
「俺もさんといると、安心出来るよ。」
お互いに、顔を見合わせて少し笑う。
今朝、感じていた所謂「寂しさ」というものは、いつの間にか消えていた。
俺の中で欠けた何かは、彼女の言葉ひとつで、瞬く間に埋められていた。
これを「恋」と呼ばない人が居てもいい。
俺の恋は、周りとは少し違ったかたちでやってきただけで、俺の中でこの気持ちは確実に恋であるのだ。
時折、寂しくなる日に、彼女がその寂しさを埋めてくれるのなら、それはきっと、俺の恋のかたちだ。
空は相変わらず、綺麗な青を広げ、白い雲ひとつ浮かべずに、俺たちの真上で、きらきらと光っていた。
春を知らせる風は、芽吹く草花の香りと、太陽のあたたかさを帯びて、柔らかく吹いていた。
そよそよ
(恋をしています、そう笑える歓びは何にだって変えられない)