昇降口を出ると、外は深い深い藍色をしていた。
月が少し赤みがかってみえる。
(もうこんな時間…、先生のばか。)
心の中で担任に悪態をつく。帰りがけに、担任とすれ違いその時に頼まれ事をして、その用事を済ませていたら外はすっかり夜になってしまっていた。
重く長いため息をひとつ吐いて、靴を履いた。
外の空気は、やたらと冷たかった。
しんと静まりかえった気配が、体感温度を下げている気がする。はぁ、と息を吐くと白く濁ったそれは、暗闇に消えていった。
ぽつりぽつりと、一人で歩く夜道はやたら寂しかった。
空を見上げると、幾つもの星が眩しいくらいに光っている。
(あ、星が綺麗だな…。)
ふ、と足が止まる。首が痛くなる程に真上を見上げ星を眺める。その時だけは寒さを感じなかった。
どのくらいそうしていたか。
ふと視界に入った光で空から目を離した。
後ろから近づく光に目を向けると、それは自転車のライトで、私は慌てて道の端に寄った。
「あ、さん?」
「…栄口くん……?」
街灯に照らし出された人物を見て、少し呆然とした。
それは、まさか会うとは思ってもいなかった人物だったからだ。
(そういえば、野球部って夜遅くまで練習してたっけ。)
そうどこか遠くで思うと、彼のやたら透き通った声が耳をくすぐった。
「随分遅くない?なんで?」
「先生に頼まれ事されちゃって、気付いたらこんな時間に…、」
へらりと笑った私に、彼が目を細める。
その瞳は、やけに澄んでいて夜の闇に浮かぶ一つの星みたいに目映くて、私はその瞳から目を逸らした。
「さん、優しいから。」
「優しくないよ、優しいのは栄口くんだよ。」
「そう?」
「うん、普通帰り道でクラスメイト見つけたらそのまま通り過ぎるだけじゃない?」
「あはは、そうかも。」
彼が屈託のない笑顔を見せる。
「危ないから、送るよ。」
彼が自転車から降りて、私の隣を歩く。
それがあまりに自然な動作だったからか、私はいつもなら言えるはずの遠慮の言葉を口に出来なかった。
「あ、りがとう…。」
「どういたしまして。」
ふわりと微笑った彼の顔が、街灯に照らされていやに綺麗に見えた。
「さん、電車だっけ?」
「うん、そう。」
じゃあ、駅までね。そう呟くと、彼は一歩踏み出した。
他愛もない話をしながら、歩く。
一歩ずつ、確かに駅へと近づいていく。
このまま時間が止まってしまえばいい、なんて思う。ひどく不安定なこの時間が永遠なら良いと、願った。
「さんさ、いつも髪の毛あげてるよね。」
「うん、髪の毛いじるの好きなんだよね。」
「へぇ。」
「あんまり上手じゃないけど。」
褒められたことが嬉しくて、けれどどこかくすぐったくて、一度笑うことでそれを誤魔化した。
「でもすごい似合ってるよ、いつも。」
にこりと柔らかな笑みを見せる彼は、暖かくて私の心に日だまりが出来る。
会話が途切れた、普段なら気まずくて嫌に思えるこの空気も、今日のそれはなぜだか心地よかった。
ふ、と頬が緩む。隣を歩く彼の横顔を盗み見ると、私と同じように少しだけ目を細めて穏やかに微笑んでいた。
綺麗な横顔、長いまつげが月に照らされて少しぼやけて見えた。
とくとくと、少しずつ速くなる鼓動は、嘘なんかじゃなかった。
彼が見せる笑顔は、私を少しだけ切なくさせる。胸のあたりに何かがつかえて苦しくなるのは、彼の笑顔を見た時だけだった。
気が付くと、駅の明かりがすぐそこまで来ていた。
「あ、じゃあこの辺でいいよ、ありがとうね。」
そう言ったら、この心地よい時間が終わると解っていた。
名残惜しい気持ちが溢れないように、拳を握りしめる。
「うん、気をつけてね。」
にこりと笑い、彼が軽く手を振る。その笑顔を脳裏に焼き付けて、明日までの間、何時でも思い出せるように。
風に揺らぐ色素の薄い短い髪の一本一本さえも、私の中に濃密に残るように、何も見逃さないように。
ひとつひとつを噛みしめて、抱きしめて、手を振り返した。
もどかしい程の熱を残す
(人を好きになると、一瞬のことで世界が色付いていく)