空が高くなったことを実感する初秋。
日差しの強さは夏を仄かに感じさせるが、吹く風は確かに秋の香りを孕ませながら人々の髪や服を揺らしていた。
駅前の噴水の前に立ち、左腕につけた時計を見ると、予定の時刻よりも15分早かった。
彼と会う日はいつだってそうだった。
待ち合わせ時間丁度に行けばいい、そう思うのに、どうしてか予定よりも早く着いてしまうのだ。
それだけ待ちわびていると云われたら違わないが、ただ単純にこの時間が好きだった。
彼を待ちながら、耳元で流れる音楽に身を委ね、行き交う人々をぼんやりと眺める、この時間が好きなのだ。
しきりに時計を見ながら早歩きで駅に向かうスーツ姿のサラリーマン。
楽しそうにおしゃべりをしながらビルの中へと消えていく女の子。
買い物袋いっぱいに食料品を詰めてよたよたと自転車を漕ぐ主婦。
まるで動物園みたいに、様々な人が通り過ぎていく。
雲を抜けた太陽が顔を覗かせて、燦々と照る日光に目を細めた瞬間、肩を叩かれて私はイヤホンを外した。
そうしてゆっくりと振り返ると、少し息を切らした彼と出会う。
この瞬間のために、私はきっと早く着いているのだと思う。
「ごめん!待たせて!」
「ううん、私が早く来ちゃっただけだから。」
顏の前で両手を合わせて眉根を下げる彼に、私は微笑った。
「でも、いっつも待たせてるからさー…。」
「好きで早く来てるんだもん、文貴が謝ることないよ。」
「でもさぁー男としてね、どうなのかなーって思ったりもするわけですよ?」
「私、文貴待ってる時間好きだから気にしないでってば。」
そう言うと、彼はくしゃりと目元を下げて笑った。その笑顔は赤ん坊のように無邪気で、あどけない。
(好きだなぁ)
そう思った瞬間、彼の右手が私の左手を絡め取った。
「、行こう?」
「…うん。」
柔く絡まる指と指の間から、揃いのシルバーリングが陽に照らされて光る。
「文貴、なんか今日良い匂いするね。」
「へへーわかる?香水!つけてきた!」
彼から香るほのかに甘い、それでいて爽やかな香りは、私の中に充満していく。
「その服も、初めて見た。かっこいいね。」
「まじで?ありがとー。とデートだからオシャレしたんだよ〜。」
「文貴はいつもオシャレじゃん。」
ゆるく外へと流された髪も、小物の効いた服装も、手入れの行き届いた靴も、どれもがシンプルではあるが、確かな個性を浮かべて纏められていた。
それが彼のスタイルで、私はそれをとても好ましく思っていたのだ。
「にそう言ってもらえると嬉しい、ありがと。」
ふにゃ、と口元を笑ませて彼は言う。繋いだ手にゆっくりと力を込めて、彼は空いた手で私の髪を撫でた。
「でもだってオシャレだよ〜?」
「そうかな、そうなら嬉しいな。」
改めて自分の服装を見下ろす。頭のてっぺんから、つま先まで、彼に見合うようにと、隣に並んで恥ずかしくないように、と、何度も鏡の前で確認した。
自分のファッションセンスに自信があるわけではないが、彼と付き合うようになってからセンスは良くなったような気がする。
「このピアス、いつもしてくれるしね?」
言いながら彼がその細く長い指で私の耳元をくすぐった。
その指先が、細いリングに小さな碧い石の通されたピアスに触れた。彼が付き合い始めのころにプレゼントしてくれたものだ。
「文貴が初めてくれたものだし、気に入ってるから。」
「うん。俺、のそういうとこが好き。」
笑いながら、彼がまた髪を撫でた。さらりと髪を梳かれていく感覚がひどく心地よくて、まるで夢の中にいるようだ。
彼と過ごすと、世界が明るくなる。
嘘ではなく、確実に世界中のものが色濃く芽吹くのだ。
これから先、永遠に一緒にいられたら、なんて願いは遠く霞んで、それこそ夢のように現実味がないけれど。
彼と過ごす時間が、100あるとしたら、その中で私はいくつの悲しみを越え、いくつの幸せを掴めるのだろう。
足し算や引き算だけじゃ成り立たない感情が愛おしいと、これから先、ずっと思えたらいい。
彼の隣にいれば、それは叶う気がした。
淡い茶色の柔らかな髪が、秋の風と共になびく。
彼が繋ぐ言葉が、私の元へと届く時、私はまたひとつ幸せを掴んでいる。
理想郷
「早くいこ。」
「ゆっくりでいいのに。」
「なんで?」
「文貴と一緒にいる時間が長くなるから。」
「…あーもう…、そういうこと言わないの!」
「どうして。」
「こんな街中じゃ、キスとかしようにも出来ないでしょーが!」
「してもいいのに。」
「…あーもう…!そういうとこも好きだけど!」
「あはは、バカップルだね。」
「バカップル上等!」
「あはは!」