それがと知っていても、



じんじんと体中を叩くような音は、一体どこから響いてくるのだろう。
頭が痛い。奥の方がずくずくと、体内を流れている血が脈打つのと同じ速さで、俺を中から焦らせていく。 気管に何か詰まっているのではないかと錯覚する程に、苦しい。何かがつかえて、息さえも出来なくなるような感覚は、俺をひどく嫌な男に仕立て上げた。







想いを寄せたクラスメイトに、既に相手がいると知ったのは、自身の気持ちに気付いてからたった3日後のことだった。 意を決して「彼氏おるん?」なんて冗談交じりに尋ねてみたら、意中の少女は頬を軽く染めながら、ひとつ頷いた。 たったひとつの頷きは、俺の立っていた地面に穴を開け、暗い闇の底へと俺を堕としていった。 それでも俺は彼女に好意を抱き続けたままだった。たとえ彼女に決まった相手が居たのだとしても、好きだと思うだけなら罪にはならないだろう。 胸に秘めておくだけなら、迷惑をかけなければ、好きでいたって良いのだろう。


それから大体、一ヶ月が過ぎた日。 下校途中に通りかかった公園で、目に入ってきたクラスメイトの姿。 遠目で見てもすぐに誰かを判別出来るのは、きっと俺が彼女に確証ある好意を抱いているからだろう。 夏が近いことを知らせるかのように、風はぬるい温度を纏って肌を滑るようにして流れていた。 あかい夕焼け空が、ブランコに座るの姿をいやにはっきりと映し出していた。彼女の足下の伸びるブランコと彼女自身の影は、色濃く深く堕ちていきそうな程に、暗い。 声をかけようとして、気付く。 肩が小さく震えている。ブランコの金具に左手を添えて、右手は自身の目元に伸びている。 細い指が、目頭から目元をなぞっていく。一目見て、泣いているのだと、わかった。 発しかけた声が、喉の奥で動きを止める。一歩踏み出した右足は、そのまま音もなく地面へと下がっていった。 呆然としてしまう。 いつだって笑顔を絶やさなかったの、まるで花が咲いたように周りを明るくする笑顔を浮かべるの、悲痛な姿。それは俺の視覚に鋭い衝撃を伴って映し出された。 まるで映画のワンシーンでも見ているかのような、一種の客観視点を帯びて、脳へと情報を伝えてくる。





喉まで出掛かった言葉を、呑み込む。口の中が乾いて喉がざらついていく嫌な感覚は、俺を焦らせ足下の地面すらも攫っていくような気がした。

嗚咽混じりに、彼女が必死に息を吸って吐いていく。 誰もいない公園に、たった一人で、何を思って泣くのだろう。 知りたいと思う気持ちは、抑えきれない衝動となって俺の背中を押した。 一歩足を踏み出すと、地面に散らばった砂利が小さく音を鳴らした。その音にの肩が一度小さく跳ねたのを、見逃すわけがなかった。 見られたくなかったのだろう、そう理解出来ても、体中を駆け巡っていく衝動は止められそうにない。
「…、どないしたん……?」
「…し、らいし…。」
一体どれ程の時間、泣いていたのだろう。普段見せる大きな瞳は、痛々しい程に赤く腫れている。
「なぁ、どないしたん…?なんで、泣いとるん?」
自分でも、不躾な問いだと理解していた。それでも、抑えきれなかった衝動は、そのまま言葉となり口から飛び出していくのだ。 知りたいのだ、どうして彼女が涙を流すのか。それも、こんなところで、たった一人で。 俺が彼女にかけられる言葉があるのなら、その言葉を意地でも見つけ出して、紡いで、伝えたい。 胸を裂くような片想いでも、たとえ叶わないとしても、彼女の幸せを願うくらいは、してもいいだろう。 現状での自分の幸せが掴めそうにないのなら、せめて大切に思う相手の幸せを願うのは悪いことではないだろう。

「……彼氏、に、ね…フられ、た…。」
そう言うと、彼女の双眸から拭いきれない涙が、ぽろぽろと音さえあげるような勢いで溢れ出した。 止まらない嗚咽が、俺まで苦しめていく。
「…そう、か…。…辛いねんな?」
聞かなくとも今の彼女の様子を見ていれば、わかるのに、俺は口は勝手にそう紡いだ。 心のどこかで、今の状況を喜ぶ自分がいるのだ。別れたという言葉は俺が心の奥に隠していた想いに一筋の光を差し込ませていく。 自分がひどく嫌な人になっていくような感覚は、俺をじりじりと麻痺させていく。
「……うん…。」
辛いかという問いかけに、ひとつ頷く彼女の瞳からまた大粒の涙が零れていく。 彼女の涙は、夕焼けの色を帯びて光っていた。



不意に、寂しい顔を見せるなんて、似合わないと思った。笑顔が見たいと、出来ることならその笑顔は自分だけのものになってしまえばいいと、 そう思う俺は欲張りではないだろう。きっと、誰だって、同じような願いや祈りを、何かしらに抱えているはずだ。 そう自己弁護をする俺は酷く弱々しい。我が儘だと、欲張りだと、罵られても良い。だから、どうか彼女の笑顔が、彼女自身が、俺だけのものになればいいのだ。 彼女を泣かせるような人など、彼女の周りに集まらなければいいと、自分勝手な欲望だけが渦巻いていく。 そんな自分が嫌で、ひとつ自嘲的な笑みを漏らした。息を漏らし、小さく嗤った俺の顔は、きっと酷く不細工だ。

「…なぁ、まだそいつのこと好きなん?」
「…え?」
「別れたんやろ?…そいつに、未練あるんか?」
「…わ、かんない……。」
大粒の涙の理由がただの喪失感だけならば、どれ程良いだろう。そうで在ればいいと願う俺は、なんて狡いのだろう。 彼女の座るブランコの金具に手をかけると、キィと軋んだ金属音が響いた。 何かを知らせるような、焦らせるような、切羽詰まった音だ。

「…なぁ、。」
「…な、に…?」
嗚咽をこらえながら、彼女が顔をあげる。 頬を伝った涙の跡が滑らかな頬にいくつも残っている。痛々しいのに、どこか美麗にすら見えてしまう。 きっと俺は今、嫌な顔をしている。わかっていても、それでも、止められないのだ。 視えてしまった、差し込んでしまった一筋の希望に、格好悪くても縋りたい。 少しでもチャンスがあるのなら、それを掴みたい。

「…俺にしとき。」
放ってしまった言葉は、しっかりと彼女に届いたらしい。彼女は、目を丸くして、瞬きを数度繰り返した。 空いたままの唇が、何か言い足そうにぱくぱくと開閉を繰り返したが、それは声にはなっていなかった。
「…自分を泣かせるようなヤツ、最低なんや。俺は絶対、を泣かせたりせんから。幸せにしたるから。 そやから、俺にしとき。俺の彼女になれば、ええ。」
息継ぎをする間もなく、そう言い切る。言ってはいけない、と思う反面、心はやけに落ち着いていた。 俺にしておけばいい、俺のことを好きじゃなくたって良い、俺と付き合えば絶対幸せにしてやれるのだ。 そんな確証のない自信だけが、俺の中を循環していた。 とにかく好きで仕方がなくて、辛うじて封じ込めていた募った想いが、彼女のたった一言で暴走してしまったのだ。





「…白石、本気で言ってる…?」
「…嘘でこんなこと言わへん。」
彼女の目を真っ直ぐに見て、そう言うと、彼女は気まずそうに目を逸らした。 もう涙は止まったのか、うっすらと滲んでいる程度だ。
「…なぁ、俺にしとき。泣かせたりせんから、辛くさせへんから。」
「…わ、たし…白石のこと、好きか、わかんないよ…。」
震える声が、そう紡ぐ。 俺のことを好きじゃなくてもいいのだ、ただが欲しいのだ。そんな自分勝手な我が儘を彼女にぶつける俺は、きっと酷い男なのだろう。

「…こんなん、狡いて、わかっとる。けどな、が彼氏と別れたって聞いて、嬉しかったんや。 最低なヤツやって、自分でも思うとる。…せやけど、ずっと…ずっと前から好きやった。」
逸らされた目が、ゆっくりとこちらへ向けられる。交差する視線。 欲しいのだ、俺のものにしたいのだ、その声も体も髪も瞳も、すべて。 狡くても、格好悪くても、そう願ってしまったのだ。



狡い僕のあわい罪




好きなんや。
その言葉は、風に揺らいで、ゆるやかに消えていった。 赤みがかった空が、変わらず足下に濃い影を作り、彼女の姿を鮮明に浮かべる中、彼女は小さな声で 「…すぐには無理かもしれないけど、きっと私は白石のこと好きになるね。」 と、その透き通った声で紡いだ。




「…それは、付き合うてくれるってことで、ええの?」
「…う、うん…、都合の良い女だね、私…。」
「そんなことあらへん!」



「覚悟しとき、壊れるくらい愛したるで。」