今だからこそ、思うことがある。 あの頃の私たちは、あまりに幼くて「永遠」とか「奇跡」を信じていたのだと。 それは、きらきらと輝く宝石みたいにあの頃の私たちの瞳に映ったけれど、今思うとなんて残酷なものなのだろうと思う。 永遠があったら、どれだけ良かったのだろう。







「ねぇ蔵。」
「ん、なんや?」
「なんでもない。」
なんやねん、それ。そう言って、テニス雑誌をめくっていた手を止めて、蔵ノ介が笑った。 骨張った手で頭を撫でられ、私はまるで猫のように目を細めて喉を鳴らす。

「ずっと一緒にいてね。」
「せやな、絶対離さんから覚悟しとき。」
そう言って蔵ノ介は、私の頬にキスをした。触れるだけのキスは、くすぐったくて、私が身をよじると彼は右手で私の髪を撫でて、 空いた左手を私の右手と重ねて微笑んだ。
「約束。」
そう言って二人の小指をきつく結ぶと、顔を見合わせて私たちは微笑み合った。 私より少し薄い茶色の瞳の中に映る私は、自分で鏡を覗いた時よりもずっと可愛く映る気がする。 それだからか、私は彼の瞳に映る自分が好きだった。彼の瞳に見える自分が愛されていると、感じられた。 この幸せと呼ぶに相応しい日常は、私にとって何よりの宝物で、永遠に続くものだと信じてやまなかった。





今ならわかるのだ。
あの頃の『幸せな日常』は失いたくない程の宝物であったのだ、それは真実で紛れもない感情であったのだ。 だからこそ、永遠ではないことを理解して、『永遠』にする努力をするべきだったのだと。 今なら そう今なら わかるのに。


どうしてあの頃の私には、それがわからなかったのかな






幸せな日常に終止符を打ったのは、私だった。




テニス部の部長になった蔵ノ介は、その重大なポジションのおかげで仕事も増え、責任感の強い彼はそれらの仕事を全てそつなくこなそうとして、 一日のほとんどの時間を『テニス』に費やした。

テニスをしている彼が好きだった。それでも、私はテニスというライバルに嫉妬心を燃やした。
「ねぇ蔵。」
「ん、なんや?」
「…なんでも、ない。」
なんやねん、それ。そう言って蔵ノ介はいつかと同じように笑った。 そう、ずっと一緒にいようと二人で指切りをした日と、同じように。 それに答える私の瞳から、一粒の雫が零れた。蔵ノ介の戸惑った声が鼓膜に響く。
「どないしたん?なんか嫌なことでもあったんか?」
彼の骨張って固い指が、私の頬を伝っていく涙を掬い取る。 こんなにも好きなのに、愛だと言っても良いと思える程、大切なのに。 どうしてだろう、今はとても辛い。
「ねぇ、蔵…。」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚く程に掠れていた。 嗚咽混じりの聞き取りにくい言葉を、彼は逃がさずに捉えて、どうしたとその柔らかな声音で尋ねた。

「私と…テニスと…どっちが大事、なの…?」

蔵は一瞬目を見開いたあと、歯を食いしばって小さな声で呟いた。
「なんで…そんなこと聞くんや…。」
苦しくて、哀しくて、胸が裂けてしまうと思う。 こんなにも痛いのは、彼をそれだけ好きだという証であるのに、その事実がまた私をおかしくさせていく。

「…どっちが、大事?」
「……比べられへんやろ。」
それじゃ嫌だ。そう言って強く泣き出した私は、駄々をこねる子供と大差ない。

幸せと名付けた筈の日常を、おかしくしてしまったのは私なのだ。 幸せと名付けた筈の日常を、永遠だと信じてやまなかった現実を、指切りをした約束を、壊したのは私だった。



「蔵が、どんどん離れていく気がする…。」
「……。」
「…蔵のこと…わかんなくなった…。」
「…ごめんな…。」
「…それは何に対して、謝ってるの…?」
「…全部や…全部…。」
「…蔵…辛いよ。」
「辛いなら…もう、別れるか…?」
「……うん…。」




幸せな日常に、終止符を打ったのは  紛れもなく私自身だった







どうしてだろう。離れてからわかるなんて、現実世界ではあり得ないと思っていた。 大事なものは、失ってから気付くのだと、よく耳にするフレーズは、漫画や小説や映画の中だけだと。 大事ということは、現在進行形でその大切さに気付いていけるのだと、無邪気に信じていた私は、あまりに幼かった。 彼との思い出を大事にしていこうと思える程、私は大人になれなかった。まだ苦い記憶としてしか、抱えていけそうになかった。 もっと早く、私が気付けていたら もっと早く、私が大人になっていたら


きっと私たちは 永遠を紡いでいけたのかもしれないね



家までの帰り道、それまで隣を歩いていた彼の姿はもうなかった
一人で歩く見慣れた道は、私に孤独感と喪失感を与えるには十分過ぎる程の景色を浮かべている


早く忘れよう そう誓った15歳の春