本当にアホな奴らだと思った。そして、そんなアホ二人に結局は手を貸してしまう自分も大概アホだ。

「はぁ…」
朝練が終わり、部室の中で白石がため息をついた。
「何、ため息ついとんのや。」
隣で盛大なため息を付かれては、こちらの気分だってつられて下降してしまう。 俺は白石に負けない程、盛大に眉間に皺を寄せてそう尋ねた。
「…もうアカンかもしれん。」
俺、死ぬかもしれん。
そう続けた白石の頭に、右手で作った拳骨を思いきり当てると、白石は小さく声をあげた。
「何すんねん、殺す気か?」
痛いやろ、そう言って殴られた箇所をさするその姿は、先ほどまで部活を仕切っていた部長とは思えない程情けない。
「おー、すまんすまん。力入れすぎたかー?」
そう冗談めかして笑うと、ロッカーを空けながら彼はまた長く深く息を吐いた。
「…なぁ、謙也?」
「んー、なんやー?」
「…あいつ…俺のことどう思ってんのやろ…。」
またか。そう思う。白石からこの手の相談をされることは、今週に入って何度目だろうか。 いい加減聞き飽きたその独白にも似た問いかけに、俺が答える言葉は決まっていた。
「せやから、大丈夫や言うとるやろ?」
苦く笑い何度目になるかわからない同じ台詞を口にすると、彼は眉間に皺を寄せて訝しげな瞳を俺に向けた。 なんやねん、その目は。そう声にすると、彼は小さなため息と共に首を振った。
「謙也は毎回そればっかやなぁ…。」
この男は、こんなに気が弱かったか。そう思ってしまう程に、白石は自信がないらしい。 顔も整っているし、性格も完璧(女子にはそう見えるらしい)、そしてテニスも上手い彼は、女子に人気があった。 今まで告白を受けることで、部活に遅れてくることも少なくはなかったし、 登校してきたら下駄箱にラブレターが入っていることも珍しくはなかった。
俺はその度に、こういうことは漫画以外でもあるものなのだと、ある種の感心の念を抱いていたのだ。 その男が、今は一人の想いを寄せた相手の気持ちがわからないと、俺の横で項垂れているのだ。
(この姿、そのままに見せてやりたいわ…。)
そう彼が想いを抱いている相手は、同じクラスのという小柄な女の子だった。 彼女は、確かに優しくて可愛らしい顔をしていた。くるりと上向きにあがった長いまつげと、丸くておおきな瞳。 流れるように鎖骨まで綺麗に伸びた髪と、細い指。そんなは、俺の友人であり、白石の想い人であり、白石と同じくある程度の人気を持っていた。

彼女は人との間合いを取るのが上手いようで、中学にありがちな 一種のグループが出来上がっている中、どこにも属さずその時々でどの輪にも入っていける柔軟さを持っていた。 変わっているといえば、そうなのかもしれない。けれど、それは嫌悪感を抱くようなものではなかった。 のその性格は、俺の目から見ても好感を持てるものであったし、きっと白石は彼女のそういうところに惚れたのだろう。





着替え終わった白石が、小さな音を立ててロッカーを閉めた。そうしてもう一度小さく息を吐く。
「…あんなぁ、そないにため息ついとると、手に入るもんも入らなくなんで?」
俺の諫めに彼は盛大な皺を眉間に寄せた。ああ、せっかくの男前が台無しや。そう頭の隅で思う。
「手に入るんならとっくに付き合ってるっちゅーねん。」
「そんなこと言うて、お前が一言"好き"やって言えばええことやろ。」
「簡単に言うてくれるな、謙也は…。」
俺の気持ちをわかっとらん。そう白石は呟いた。 わかるわけないやろ。心の中で毒づいたけれど、それでも俺は結局この男に手を貸してしまうのだ。 良い人ポジションもいい加減卒業したいと、思っているのに。 自分も大概だと今度は自分自身に毒づきながら、白石の肩を叩いて笑った。
「しゃーないやっちゃな、俺がそれとなく聞いといてやるわ。」
「…何をやねん。」
「せやから、あいつがお前のことどう思ってるかっちゅーこと。」
「…聞きたいような、恐いような…。」
言いながら白石が力なく部室を出て行く。この男はどこまでアホなのだろう。いやもうアホを通り越して、バカだ。 余計なことだけは言わんといてや。そう呟くようにして歩き出した彼の背中は、いっそ可哀想になる程丸まっていた。



朝のHRまでまだ時間はある。教室へ戻ったら、先ずはに声をかけよう。そう思いながらトボトボと歩く白石の横を走り抜けた。



「さっさと気持ち入れ替えやー、午後の部活までに入れ替えんとしばくでー!」







* * * *







「おはよーさん。」
スポーツバックを己の机へ置いたあと、俺は予定通りにへ声をかけた。
「あ、謙也。おはよ。」
「今日もええ天気やなー。」
がたりと音を立てながら彼女の目の前の席へと腰をかけると、彼女はにこりと笑った。 その笑顔につられて、自分の頬も自然と弛む。
「あんなー、に聞きたいことがあんねんやんか。」
ずいと顔を突き出して、そう話を振ると彼女は首を傾げて頷いた。 何?とそのおおきな瞳が尋ねている。
「好きなヤツっておるんよなぁ?」
きっと鈍い彼女のことだから、これくらい直球で聞いてやらねば答えそうにない。 少なくとも白石が自信の持てるような答えはくれそうにない。 曖昧じゃだめなのだ、もっと確信を含んだ答えでなければ、あの情けない男前は告白に踏み切れないのだ。 目の前のは、カァァァと音さえ聞こえてきそうな程に勢いよく頬を上気させていった。
(おお、面白いもん見たわ。)
「ちょ…謙也、なっ何、いきなりっ!」
ガタンと音を立てて、彼女が椅子から立ち上がったのと同時に、ゆっくりとした動作で白石が教室へ入ってきた。
「おー白石ぃー遅かったなぁ?」
「アホ、謙也が早すぎるんや。」
片手をあげて白石に笑顔を向けると、は勢いよく目線を教室前方のドアへ移し、そのあと音を立てながら今度は着席した。 ガタンと大きく鳴った椅子の音に、白石が俺を通り越してへと目を向ける。 今彼の視界には、彼女以外何も映っていないのではないかとさえ錯覚する程に真っ直ぐな瞳。 その瞳を向けて、彼女に一言言ってしまえば、それで済むことなのに、どうしてもヤツにはそれが出来ないらしい。
「あっと、白石…お、おはよう!」
にっこりと、俺には向けたことのない笑顔を白石へと向ける
その笑顔だけで、彼は気付いてもいいはずなのに。
「…っお、おはようさん!」
白石は、少しだけ頬を上気させ、目線を面白い程に宙に彷徨わせ、へらりと笑った。 彼の弛みきった顔の筋肉が、彼女に好きだと全力で伝えている。それは、たぶん彼女自身には伝わってない
(ホンマ…こいつらどんだけ鈍いねん。)
眉間に皺を寄せながら、二人を交互に見ると、白石は目だけで俺に「余計なことは言うな」と凄むように睨んできた。
(んな睨んだって、お前らじれったいねん…。)
それにニヤリと笑って返すと、白石は小さなため息と共に、自分の席へと座った。
「…っ、謙也!さっきの話だけど、いきなりそういうこと聞かないでよ。」
「なんでや?おるんやろ、好きな――」
「謙也っ!」
彼女が勢いよく俺の口をその手で塞ぐ。さっきから何度も何度も大きな音を立てている俺たちはすっかりクラスの注目を集めていた。

ちらりと横目で廊下際の席へ座る白石へと目を向けると、訝しげな瞳でこちらを見ていた。
(興味あるんやったら、自分で聞いたらええっちゅー話や。)
そう思ったが、それが出来ないというから、今自分がこうして恋のキューピッド役を買って出たのだと思い直す。 自分もつくづくお人好しらしい。
「謙也!静かにしてよ、本人がいる教室でそういう、」
「今"本人"言うたな!?」
「…あ!」
「っちゅーことはや!」
「ちょ、ちょっと謙也!」
「このクラスにおんねや!やっぱり!」
再び彼女が頬を真っ赤に染め上げていく。ここまで聞いたらもう十分だ、午後の部活の時にでも白石に教えてやろう。 そう思い自然と弛む頬を隠しもせず、廊下際の白石の席へ目を向けようと振り向いた瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、 先ほどまで自身の席へ大人しく座っていた白石が、すぐそこに立っているという景色だった。


「おわっ、なんやねん白石!自分ついさっきまで席にいた、」




、好きなヤツがクラスにおるん?」





俺の言葉を遮って彼が紡いだ言葉は、俺を椅子から転げ落とすのに十分過ぎる程の威力を持っていた。 お笑い芸人さながらの俺の椅子コケに教室内は笑い声に包まれた。
「はは、今のはなかなかやったやろー?」
そうクラスの連中に返すのだけれど、今はそれどころではないのだ。 目の前で、に真っ直ぐな瞳を向ける白石と、その瞳から逃げるようにして目を逸らしたまま動かない。 白石の言葉は、現状打開の強い意志を持っていると、きっと彼女も気付いているはずだ。


あまりの展開の早さに、キューピッド役を務めた自身の脳の回転がついてこない。
(…白石、それは急すぎるやろ。ちゅーか、なんだかんだ聞いとったんやな…。)
(聞き耳立てとったっちゅーことか。可愛いやっちゃなー。)
徐々に落ち着きを取り戻し、冷静な判断が出来るようになってきた俺の取る行動など決まっている。
こういう時は、黙って見守ってやるのが、一番良いのだ。


「あんな、俺、に言いたいことあるんや!」
「え、と。何?」


そのあと、白石が教室のド真ん中で叫ぶようにして紡いだ告白に、クラス中から歓声と悲鳴の混ざった雑音が響いたが、 二人はそんなことなど気にもせずに、照れたように笑い合い掴んだ幸せを全身で感じているようだった。










キューピッドの


役回り






「なぁ、白石。自分、もう少し俺に感謝した方がええんとちゃう?」
「なんでやねん。」
「誰のおかげやと思っとんねん。」
「あー、うん。それには感謝しとるで?」
「ほな、なんかお礼もらわんといかんなぁ?」
「…自分、嫌なやつやな。」
「誰のおかげやと――」
「はいはい、わかったわかった。何がええ?」
「俺の今月のブリーチ代、全額支給!」
「アホ言うなや。」
「アホは白石やろ、アホ。」
「…ほな、自分に好きな子おったら今度は俺が協力したる、これでどうや?」
(好きな子おったら苦労してないっちゅー話や!アホ!!)


「…それより、謙也。」
「…なんや。」
「お前、のこと""て呼び捨てにすんの、なんやむかつく。」
「いらん嫉妬心燃やすなや。」
「せやけど、あーなんや、ごっつむかつく!」
「お前も呼んだらええだけの話やん。」
「……出けへん。」
「はぁ?もー知らんわ。そんなとこまで面倒見れるか!アホ!」