夏が近いことを知らせるような日だった。陽は燦々と照り、生い茂った葉の香りを運ぶ風は生ぬるかった。
夏が近いことを感じると、いつも気持ちが弾んだ。 肌を焼く日差しも、肌をしめらせる汗も、頬を撫でるぬるい風も、私には心地良い。 身を縮こまらせて、肌を刺すように冷える冬よりも、夏の方がずっと良い。 陽の照り返しが、うるさいくらいの蝉の声が、背中を押してくれるようなそんな気分になる夏が好きだ。


日直の下校の挨拶と共に、ざわめく教室内で担任の先生が声を張り上げた。 目前に迫った受験に対する叱咤激励の言葉に、悲鳴にも似た声をあげる生徒に、先生は笑った。 もうそんな時期か、とどこか他人事のように思いながら、友人に挨拶をして教室を後にした。
「お、さん、帰るんか?」
「うん、白石くん部活でしょ?頑張ってね。」
「おお、ありがとうな。」
「テニス部、今年も全国大会に行くんだもんね、すごいなぁ。」
「はは、もし良かったら応援に来てや。遠いから、無理は言わんけど。」
言いながら笑う彼の瞳は、陽の光を取り込んで輝いていた。
「…やっぱり、」
「ん?」
「ううん、やっぱりスポーツをしてる人って夏が似合うなぁって思って。」
「はは、なんや突然。」
「だって、なんか白石くんきらきらしてるから。」

整えられた髪が乱れても、しなやかに隆起する腕や足を汗が流れても、ちっとも格好悪くなんてないのだ。 スポーツをしている人が、一番輝くのは、そういう時だと思った。 何かのために一生懸命になれる人は、格好良い。


「はは、さんもきらきらしとるけどなぁ。」
「えー、いいよ。そんなお世辞は。」
「お世辞ちゃうねんけどなぁ。」
「あはは、白石くんって優しいから。」
「そういうんやないけどな。」
そう言うと彼は頬を掻いて、少し視線を逸らしてからもう一度私を真っ直ぐに見据えた。 色素の薄い瞳に、陽の光が反射して、まるで万華鏡のようだと思った。 真剣な瞳が、ゆっくりと細められて笑みの形をつくる。ゆっくり、ゆっくりと変わる表情は、映画のワンシーンのように儚くて綺麗だった。

さん、いつも一生懸命やろ。そういうところが、きらきらしとると思っとったんや。」



彼の滑らかな声がそう紡いだ。 彼の言葉は、いつだって真っ直ぐだった。嘘だなんて微塵も疑わせない力を持っていた。 魔法みたいに、不思議な人だ。


「ありがとう。」
「礼言われるようなことやないねんけど、どういたしまして。」

浮かべた笑みを一層深くして、彼が言う。 テニス部の一人が、廊下を走りながら置いていくぞと声をかけた。 彼はそれに手を上げてこたえた後、ちらりとこちらを見てから、口を開いた。

「ほな、さんにお願いっちゅーか、覚えておいて欲しいことがあんねんけどな。」
「うん、なに?」

窓の外から聴こえる鳥の声と、生徒の声。 それらの音と交じり合った彼の声はひどく甘美で、心地よい。

「全国大会が終わったらな、話があんねん。」
「終わったら?今じゃなくて?」
「そうや、俺なりのけじめっちゅーやつやな。」
「よくわかんないけど、わかった。」
「はは、おおきに。」
「どんな話が聴けるのか、楽しみにしてるね。」
「楽しみにするようなこととちゃうねんけどな、俺は今から色んな意味で心臓が破裂しそうや。」
「うーん、更にわけがわからなくなったけど…。」
「はは、すまんな。ほな、俺もう部活行くわ。」
言いながら彼は肩にかけたスポーツバックを持ち直した。

「あ、ごめんね、引き止めちゃって。部活頑張って。」
「おおきに。ほな、また明日な。」
「うん、また明日。」

手を振りながら背を向けて歩き出す彼は、ひどく眩しい。 きらきらと光る、夏の似合う彼が言ってくれたように、自分も輝いていたいと思う。 夏休みは、テニス部の応援に行こうと決めて、昇降口に向かった。

それは夏が近いことを知らせるような日だった。陽は燦々と照り、生い茂った葉の香りを運ぶ風は生ぬるかった。
ゆっくりと紅く染まっていく空を見ながら、早く夏になれと何度も心の中で呟いた。




約束