お伽噺に憧れていた。 とは言っても、さすがに白馬に乗った王子様が現れて…などとは思っていなかったが。 私がその人を想うように、相手も私を想っていて、好きだなんて言葉にしなくてもどこかでわかり合えて、 まるで運命のように惹かれ合って、なるべくしてなるような、そんな恋に憧れていた。 もちろん、現実がそんなに甘くないことも知っている。

「ってね、小さい頃は私もそれなりに夢見てたんだよー?」
「はは、女の子っちゅーのは可愛いなぁ。」
「あ、白石くん、バカにしてるでしょ。」
「しとらんって。」

目の前の男の子は、それこそ王子様のように端正な顏をくしゃりと崩し笑った。

「女の子は、やっぱりそういうのに憧れるんやなぁ。」
「白石くんは、ないの?」
「せやなぁ、思ったことないなぁ。」
「男の子だから、えーっと、勇者になりたい、とか。」
「テニスプレイヤーになりたい、なら思ったことあるんやけどな。」

そう言うと、彼は眉根を下げて笑った。少し寂しそうな色を瞳に滲ませながら。 長い睫毛に縁取られた瞳に、その笑みはよく似合った。

「白石くんって、たまにそうやって笑うね。」
「そういうって?」
「なんかちょっと寂しそうっていうか、笑ってるのに悲しそうな感じ?」

私の言葉に彼は少し驚いて、目を見開いた。一瞬、瞳に光彩がちらついて、彼の淡い茶色の瞳をより鮮やかにした。 それなのに、その後すぐに彼は眉を下げて、困ったように笑った。 もう光彩は浮かんでいない瞳は、ひどく濁っているように見えて、それは私をとても悲しくさせた。

さんは、いっつもにこにこしとるなぁ。」
「能天気ってよく言われる。」
「ええやん、元気なんは悪いことやないで。金ちゃん程になると困りもんやけどな?」

元気が良すぎるとよく聞く後輩の名前を挙げながら、彼が笑う。 他愛のない話を続けながら、頭の片隅に残る彼の寂しそうな笑顔の理由を考えた。 始業の鐘が鳴り響き、退屈でしかない授業が始まっても、それは私の中から消えなかった。







「あ、白石くん、これから部活?」
「せや。さんは帰るん?」
「ううん、ちょっと委員会。」
「それ何時くらいに終わるん?」
「うーん、たぶんみんなの部活が終わるくらいじゃないかな。結構長いみたい。」

言いながら肩にかけた鞄をかけなおした。 買ったばかりだというのに、この鞄は些か紐が長すぎる。帰ったら少し手を加えようと、関係のないことを考えた。

「…ほな、今日一緒に帰らへん?」
「え?」
「あかん?」

唐突な誘いに素っ頓狂な声をあげると、彼はまた眉を下げて困った風に笑いながら首を傾げた。 不自然になる脈が、私を変に焦らせる。

「だ、だめじゃないけど…なんで急に…。」
「少し話したいと思ってんねん。」
「そ、そっか。わかった。じゃあ校門のとこで待ってるね。」
「おおきに。ほな、後でな。」

私の言葉に息を吐いて、彼は笑った。それは寂しさを滲ませたものではなく、温かささえ感じられるように思えた。 不自然な程に速くなる脈の意味も、彼の笑みに安心している自分も、よくわからない。


王子様はいないとわかっていた。もちろん、私がお姫様ではないことも。 それでも、心のどこかで願っていた。


「すまんなぁ、待たせてしもうて。」
「ううん、大丈夫だよ。」

茜色に染まったいつもの帰り道を、彼と並んで歩く。 いつもは居ない男の人が隣にいるだけで、見慣れない道のような気がして、それが少し可笑しい。

「ねぇ、話って?何か頼みごととか?」
「あー、それやねんけどな。」

見慣れた困ったような笑みを浮かべながら、彼は頬を掻いた。 端正な顔立ちが、夕焼けの陽に当てられて少し赤い。 言い辛いことなのか、視線を宙に彷徨わせながら必死に言葉を選ぶ姿が、なんとなく可愛く思えて自然と頬が緩んだ。 彼が整った顔立ちをしていて、周りの女の子から「格好いい」と言われていることは知っていたし、実際自分自身もそう思っていたのだけれど、 まさか彼にこんな表情があるとは知らなかった。 少し得をした気持ちになるのと同時に、そんな表情を見せてくれた彼を近くに感じた。

さん。」

数十秒も経ってから、彼が私の名前を呼んだ。 慣れた呼び方に、ずっと夕陽を見ていた視線を彼へ向けると、思いのほか真剣さを帯びた瞳に一瞬息を呑んだ。 見慣れない彼の顏は、まるで別人のようで、また脈が速くなる。 まるで自分のものではないように、身体も思考も思い通りにはならず、私はそこから動けなくなり、知らない内に息も止めていた。

「…俺は、テニスプレイヤーでもないし、王子様でもないし…なれそうにもないねんけど…。」

ゆっくりと彼の透き通った声が言葉を繋げていく。 茜色の空気を震わせながら風が流れて、すぐ傍の木々を揺らした。 彼の言葉に何か返そうと思うのに、うまい言葉が見つからないまま開いた口からは情けない音だけが零れた。 それに気づいた彼が目を細め、次の言葉を探すように一旦口を紡ぎ、また開いた。

「…でも、俺やあかんかな?」
「…え、っと何が…。」
「俺じゃ、さんには釣り合わんかな?」
「…それは、えっと…。」
「つまり、その、告白、しとるんやけど…。」

"告白"――その言葉は、私もよく知っている。それなのに、脳がうまく機能せずに、頭の中で何回も復唱する。 破裂してしまうのではないかと思う程に速い脈のせいで、うまく呼吸が出来ない。 そのせいで酸素不足になった脳がいつも通りにはたらいてくれないのだと、そんなことだけは上手に考えられた。

「…さん?」

何も言わない私に痺れを切らしたのか、不安そうに歪められた瞳のまま白石くんは私を呼んだ。 その声にようやく思考が落ち着いて、私は改めて目の前の男の子のことと、自分の気持ちを考えた。

いつでも優しく透き通った柔らかい声音と、あたたかい笑顔と、それとは違う寂しい笑顔。 それから、まるで王子様みたいな端正な顔立ちと、テニスが好きなこと。 私の夢見がちな話を、からかわずに微笑みながら聞いてくれたこと。

「白石くんって、すごい。」

私の言葉に彼は首を傾げた。意味がわらかない、と言いたげな瞳と、相変わらずの不安そうな瞳は、やっぱり可愛く思えた。

「私ね、白石くんが寂しそうに笑うと、理由はわからないけどなんとなく悲しくて、それが今日ずっと気になっててね。」

唐突に話し始めた私の言葉に、彼は頷いた。 不思議そうに首を傾げながら、それでも私の言葉を遮らずに。

「私は、お姫様じゃないし、白石くんもテニスプレイヤーじゃなくて…、これはお伽噺じゃなくて…現実だから。」
「…せやな。」

言葉にすると少し胸が痛んだ。それでも、茜色の夕焼けは優しかったし、白石くんの声は相変わらず温かかった。

「でも、私は白石くんが王子様だったらいいなって思うよ。」

この言葉は、上手に彼に届いただろうか。 彼の言葉のように、柔らかく素直に。


fragment




「ふふ、でも考えるとすごいね。お伽噺みたい。」
「俺はめっちゃかっこ悪くてあの後へこみよったで?」
「えー、なんで?」
「そりゃ、王子様やったらもっとこうスマートにやな…。」
「あはは、それは夢見すぎ。」
「そやかて、の夢やったんやろ?」
「うん。」
「ほら見ぃ。最初くらいカッコよく決めたろ思ってたんに…。」
「あはは。」
「笑うなっちゅーに。」
「あはは!」
「…せやけど、俺にとってはほんまにお姫様やで?」
「あはは!それはくさい!」
「ホンマにこの子は…。」