カーテンがさわりと静かな音を立てながら揺れる。少しだけ開いた窓から、通りを抜けていく車のエンジン音が聞こえた。
「どないしたん?」
そんな空間にさりげなく彼の優しい声が響いた。
生活音の中に混ざりながら、するりと、あたかもそれが当たり前であるかのようなさりげなさに、目を細める。
「何が?」
「なんや黙っとるから。考え事か?」
「ううん、なんでもないよ。」
「そうか?ならええんやけど。」
ゆっくりと彼の淡い茶色の瞳が笑みのかたちをつくる。かたちの良い綺麗な唇の両端が、ゆるく上がっていく瞬間が好きだった。
なんの躊躇いも、理屈もなく、ただ好きだと思う。
時折、そんな自身の感情が怖くなる。理屈じゃなく好きだと思うことを、なんとなく不自然に感じるのだ。
不意に伸びてきた指先が、私の前髪を掬い上げた。
反射的にぎゅうと目を瞑ると、押し殺したように彼がくつくつと喉を鳴らした。
「髪、伸びたなぁ。」
ゆるやかな声に、ゆっくりと目を開ける。笑んだ淡い茶色の瞳の中に、呆けた顏の自分が映った。
「そうかな。」
「伸ばすんか?」
「うーん、どうしよう。」
言いながら、毛先を抓む。枝毛を数えようとして、すぐにやめた。
眼前に彼が迫っていたからだ。
伏せた瞳を縁取る長い睫毛に目を奪われる。こうして見ると、彼はまるで人形のようだ。
小さな音をたてて、額に彼の唇が寄せられる。ほんの一瞬だけの行為が、まるで永遠のように感じられるのはどうしてだろう。
「。」
彼が私の名前を紡ぐ。風のような声音が、さわりと耳朶をくすぐる瞬間に頬が緩む。
「大好きや。」
いつからか日常の中に、当たり前のように彼が存在していた。
当たり前などではないはずなのに、まるでそれが普通だと云うように、良くも悪くも存在感を消して。
彼が与えてくれる時間は紛れもなく幸福だと、そう思うのに、どこかでそんな感覚に恐怖を感じている。
それはきっと、この感情も、この時間も、何もかもが、簡単に失われていくものだと、どこかで理解しているからだ。
その事実に、怯えている。
だからこそ、理由が欲しい。彼を好きであることに、彼の存在に、この時間に、すべてに理由が欲しいのだ。
「…?どないしたん?」
「…ううん。」
与えられているものを手にした瞬間に、手放す日のことを考える私は、薄情だ。
「なぁ、。」
「なに?」
「いきなり変なこと言うけど、」
言いながら彼は前髪を掻き上げた。骨ばった指先が細い髪を掬い上げて、隙間からこぼれた毛先が揺れた。
「ずっと、ってのは無責任やけど…、ずっと一緒に居れたらええなぁ。」
眉根を下げて彼は笑った。寂しそうに歪められた瞳に、相変わらずの優しさを滲ませながら。
夏の香りを含んだ風が、部屋に流れ込んだ。さわりと、カーテンの揺れる音を響かせながら、やさしくゆるやかに。
蝉の鳴き声と、通りを走り抜けていく子供の笑い声。
どこかの家から漏れるテレビの音も、部屋を染め上げる夕陽の色も、哀しくて、それでもあたたかい気がした。
「そうだね。」
そう返すと、彼はひとつ頷いて、もう一度私の額に唇を寄せた。小さな音をたてて。
日常の中に、当たり前のように彼が存在していること。
当たり前であってはいけない日常も、今だけは当たり前だと思っていても良いような気がした。
からくれない
それはとても尊いもの