優しくされると泣きたくなることがあった。
それは、決まって気分の沈んだ日に襲い来る感情だった。
誰かの傍に居たい、居て欲しい、触れたい、話したい。そう思うのに、どこかでそれを拒む自分が居る。
そういう時に優しくされると、どうしてか涙が溢れてくるのだ。
自分自身で理解出来ない衝動は、時折深く鋭く突き刺さり私を暗い闇へと誘うように、手を拱いていた。
空が青く澄み渡っている日だった。青々とした空間に浮かぶ雲の白が良く映える。
それをどこか薄暗い気持ちで見上げ、重くて長い息を吐いた。
鬱々とした気分の理由など、自分でもわからない。なんとなく、としか言い様がなかった。
何かの病気のように唐突に襲ってくるそれは、不快感とは言い難いような、難しい感覚を私の中で循環させた。
誰かの前で泣き喚きたいような、けれどそうしたくないような、そんな不思議な気持ちは、変に私を焦らせる。
昼休みを告げる鐘が鳴ると、可愛らしいピンクのお弁当箱を手にした友人が声をかけてきた。
それを、やんわりと断ると、彼女は少し顔を曇らせて、次いで心配の色を瞳に宿した。
そうしてすぐに笑顔を浮かべ、また別の友人の元へと走っていく友人の後ろ姿を見て、胸が軋んだ音を上げた。
キリキリと痛む心臓が、煩わしい。
騒がしい教室を抜けて、足を向けたのは屋上だった。
こんなにも天気が良いというのに、屋上で昼食をと考えた人は居ないらしい。
意外にも人のいない屋上は、秋の香りを帯びた風が吹きさらしていて、少し肌寒かった。
古びたフェンスに手をかけると、軋んだ音を上げる。切羽詰まっているようで、少し気味の悪い音だ。
ひとつ息を吐いて、フェンスを背にして座り込むと、ひんやりとしたコンクリートの感触が、肌に突き刺さるように感じられた。
目を閉じようとした時、ギィと屋上のドアが軋んだ音を上げた。それによって、私は閉じかけた目を開く。
「。どないしたん?」
ミルクティーのような綺麗な淡い茶色の髪が、通り抜ける風に揺られて、陽の光に照らされて、きらきらと光っている。
陽の光を背に浴びた白石は、ひどく眩しくて直視出来ないと思わされる。
「どうって…お昼、食べに来たの。」
床に広げた弁当箱を指さし、そう言うと白石はいやにゆっくりとした動作で首を傾げてみせた。
「一人でか?」
その言葉に、体中が一種の拒絶反応を示し始める。煩い程に痛み出した心臓がいっそ破裂してしまえばいいとさえ思う。
「うん、たまにはね。」
何気ない風を装って、箸箱を開ける。彼は何気ない素振りで私の隣に腰を下ろし、同じように自分の弁当箱を広げた。
何もかもが煩わしいとさえ感じる。
ゆるく吹く秋風も、目の前に広がる色とりどりのおかずも、隣に座る白石も。
一人でいたいわけではなかった、誰かと居たいとさえ願っていた。それでも誰かといるのを拒む自分は、ひどく弱々しい。
一人になりたいと云えばそうであったし、それが寂しいと云えばそれもそうだった。
「…、ホンマは寂しくてしゃーないんとちゃうん?」
「…何が?」
不意に耳に飛び込んできた言葉は、私の核を深く抉った。
心地良い白石の声音が、苦しいくらいに痛い。
「友達に誘われとったやろ、なんでそれ断ったん?」
「今日は一人で食べたかったから、だよ。」
「違うやろ?」
そう言って、いっそ白々しい程に微笑む白石が憎たらしく思えた。
「一人で居るんが嫌で、でも一人で居った方がええって、思ってたんやろ?」
違うか?そう問われ、断続的に続いていた痛みが増す。
彼の言葉は、突かれたくない箇所を的確に探り出して抉った。
痛みに伴う不快感は、私をひどく嫌な人間へと仕立て上げていく。
「…せやけど、そーいう日もあんねんな。しゃーないよな。」
ふ、と微笑みを濁す白石の瞳は真っ直ぐに前を見据えているのに、どこか暗く映る。
心臓が、今までとは違った痛み方をし始めるのは、どうしてか。
「…何かあるんやったら、言うた方がええで。そっちのが今よりずっと楽やで。」
そう優しい声音で促され、私の口は自然と言葉を紡ぎ始めた。
一人で居たくて、それでも誰かと居たくて。
けれどこんな鬱蒼とした気持ちのまま、誰かと居たらいけないと思った。
こんなにも暗くて黒い渦の中に居るまま誰かと接するのは怖かった。それだから今日だけでも、今だけでも一人でいようと思ったのだ。
そんなことを辿々しく言葉にすると、彼は浮かべた微笑みを深くした。けれど、やはりその瞳の奥は少しだけ暗い。
「きっとな、友達も気付いとるんやと思うで。のそういう気持ち。」
「…なんで?」
「気付いとるから、わかっとるから一人にしてくれたんやろ。のために。
が、自分に気ぃ遣うて断ったんやって、わかったんやろな。」
ええ友達やな。
そう言って彼はまた微笑った。
柔らかい笑みが、あたたかいのに、ひどく痛くて、だから苦しくて。
彼の言葉は私の核を突いてきて、鬱陶しいとさえ感じた。
けれど、先ほどまでとは違う何かが私の中を循環し始めるのと同時に、何かが変わったような感覚を帯びていく。
優しくされると泣きたくなるのだ。
痛苦だけを感じる時、他の感覚が麻痺しているみたいにやたらと痛みだけを感じる時。
そんな感覚に、彼の言葉は厳しく、けれど確かに優しさを混同させて私の核を突いていた。
目蓋が湿っていくのを感じる。涙が頬を伝う感覚はいやにリアルで、痛いのにどこか愛おしささえ覚えていく。
突然泣き出した私に、白石は柔らかく微笑うと、その男の人の手でゆっくりと私の頬を伝う涙を掬いあげていった。
「白石はどうしてわかったの…?」
「どうしてやろうな…何となくっちゅーか、そんな感じや。」
くしゃりと音さえ聞こえそうな程に砕けた笑顔を向けられると、なんとなく彼のことがわかった気がした。
きっと彼も、孤独を抱えて生きているのだと、変に確信染みた憶測が生まれる。
それだから時に寂しくなり、辛くなるのだ。
けれどそこには確かな優しさと温かみがあるのだと、感覚的な部分で思う。
「後であの子にお礼言っておこうかな。」
「せやな。」
「それと、」
「ん?」
頬に薄く残る涙の跡を指で消すと、手に握った箸を握り直し、明るい黄色の卵焼きをひとつ摘み上げる。
ほのかに香る秋風は、相も変わらず寂しさを纏っていたけれど、それでもどこか優しく私たちの髪を揺らしていった。
「白石も、ありがとうね。」
「いえいえ。」
それが僕らの、
(感覚というのは時に残酷で、それだから僕たちに優しさを教えてくれる。)