蝉の鳴き声がそこら中から響いている。じんじんと体内を巡る熱と共鳴するかのように木霊する蝉の声は、夏の風物詩だ。


数日前、蔵ノ介がにっこりと夏の似合う笑顔を浮かべながら、花火大会に行こうと声を弾ませた。 夜ならば部活も終わっているし、家に帰ってから着替える時間もある。そして何より、デートらしいデートなど久しくしていなかったから。 そうにこやかに提案した彼は、誘われた瞬間から胸を弾ませていた私よりもずっと嬉しそうだった。 机の上で、携帯がいくつもの光を放ちながら振動した。ぱちりと音を立てて液晶を開くと、愛しい彼からのメールが一通届いたと画面に文字が踊っている。
『着いたで。』
そう一言だけ送られてきたメールに、だらしなく弛む頬。鏡の前でもう一度、自分の全身をまじまじと見つめ、顔も髪も全ておかしなところはないかと確認してから、 着慣れない浴衣の裾を揺らして階段を下りた。 カチャリと音を立ててドアを開くと、家の前に佇む蔵ノ介の姿が見える。ドアの音に振り向いた蔵ノ介は、片手をあげて微笑んだ。 着ている浴衣のせいかいつも以上に大人びて見えて、そのことが少し歯痒いようで、くすぐったい。 下駄をカラコロと鳴らしながら、彼のところまで歩みを進め、差し出された手のひらに己のそれを重ねる。
「浴衣、可愛ええな。よう似合うとるで。」
「…ん、ありがとう。」
数少ないデートの時、いつもと違う髪型をしている時、どんなに些細なことでも気が付いてくれる彼から、 似たような言葉は何度ももらっているというのに、『浴衣』というだけで何故だかひどく気恥ずかしい。 彼はそんな私の感情に気が付いていたのか、くすりと一度小さく笑うと、私の歩幅に合わせて歩き出した。 そういう彼の優しさを知っているのだ。私だけじゃない、きっと彼と関わる人のほとんどが、そんな彼の優しさを知っているだろう。 けれど、今この瞬間だけは、彼の優しさは私のために使われている。その事実が、私の熱を更に上げていく。


多くの人でごった返した道。鈍い光を放つ提灯と、そこら中から響く笑い声に混ざる蝉の声。
「二人で祭りに来るんは初めてやな?」
「うん、そうだね。」
顔を見合わせて笑い、強くお互いの手のひらを繋ぐと、彼は何が欲しい?と優しい笑顔を浮かべ尋ねてきた。 それに、りんご飴、と答えると、彼は頷いてまた歩き出す。 こんなにも心が弾むのは、夏と祭りの空気にうなされているからだろうか。 おさえきれない頬の弛みは、どんどんと加速していくばかりで、けれどそれすらも気にならない。 長い長い列に並び、りんご飴をひとつ買うと、彼はにっこり微笑んで、また手を差し出た。 右手にりんご飴を握り、左手を彼のそれと絡めると、ひどく満ち足りた気持ちになった。

彼に連れられてやってきたのは、人気のない河原だった。 不思議そうな顔をする私に、彼はひとつ微笑んで「知り合いに穴場教えてもろた」とその透き通った声音で紡いだ。 その言葉に笑顔を浮かべ頷くと、彼はたたえた笑みを更に深くした。

土手にゆっくりと腰を下ろす。
「ねぇ、蔵ノ介。」
「なんや?」
「さっき言いそびれたんだけどね、蔵ノ介も浴衣似合ってるよ。」
「ははっ、なんや、わざわざ。」
「本当に、似合いすぎてて悔しいくらい。」
「ほんまか?ありがとうな。」
おおきな手のひらでくしゃりと頭を撫でられ、私は目を細めた。
淡いグレーの浴衣は、ひどく彼に似合っていた。 落ち着いている彼の性格を表すかのように、シンプルにあしらわれた竹模様が彼の整った顔立ちを更に引き立てているように見える。
「本当、よく似合ってる…。」
まじまじと彼を見ると、夜のせいか瞳を縁取る長いまつげも、綺麗に整えられた眉も、かたちの良い唇も、いつにも増して輝いて見えた。 思わず感嘆の声を漏らすと、彼は苦く笑って細い指で己の頬を掻いた。
「そんな褒められてもどうしてええかわからんわ。」
「だって似合ってるんだもん。」
「おおきに。…でも、かて、よう似合うとるで?」
くすりと微笑み、次の言葉を紡ぐために彼が息を吸う音が、静かな空間にいやに大きく響いた。
「…いつもも可愛ええけど、浴衣やと…色っぽいな?」
彼の骨張った細い指が、するりと頬を撫でる。ゆるく微笑む彼こそ、色気を纏っているというのに。 顔に熱が集まりじんわりと暑くなってくる。それを誤魔化すかのように、空を見上げると、おおきな音と共に一輪の花が空に咲き誇った。


「…お、あがったな。」
彼が視線を空に向けると同時に、頬から離れていった手の温度。次々とあがる花火が、私たちの瞳に色を散らした。
「…綺麗だね。」
「せやな、ここ教えてもろて助かったな。」

おおきな音を立てながらいくつもの花火が空に色を放ち、消えていく。 ひどく幻想的な光景は、私から言葉を奪い、思考を濁していった。 咲いては散り、咲いては散り、夜空に浮かぶいくつもの花火は、少しだけ私を悲しくさせた。

「…?」
「…ん、なに?」
「どないしたん、急に静かになったな?」
「…花火ってすぐ消えちゃうから、なんか寂しいな、って。」
そう言うと、彼は息を漏らしてひとつ微笑った。
もう一度、するりと頬を撫でられて、ひどく甘い感覚が私を包む。
「…ほな、俺が寂しくならんように、おまじないしたろか?」
「…なに?」
「……目、瞑って。」

触れるだけのキスが唇に落とされる。 今日一番おおきな花火があがった瞬間に、触れて、花火が静かに消えていくのと同じようにゆっくりと離れた熱は、 私の中にひどく甘美な感覚を残していった。 それは私を幸福で満たしていく、ほんの一瞬だけの魔法のようだった。

「…寂しくならんように、な?」
薄い茶色の瞳の中に映し出される花火は、ひどく優しい色をしていた。





それは一瞬だけの

魔法




To 四天宝寺企画 Crazy様 
素敵な企画を有り難うございました!!  So ... 志乃