「じゃあ、。またね。」
「うん、また明日ね。」
友人たちに、別れの挨拶をする。手をひらひらと何度か振ると、彼女たちも笑って手を振り返してくれた。
がたりと音を立てて、椅子を引くとその音は静かな教室内に響いて徐々に消えていった。
窓の外のテニスコートをぼんやりと眺める。放課後のこの時間が好きだった。
先に帰って良いという彼の言葉に首を振り、私は週に何回か彼の部活が終わるまで、ただ教室からテニスコートを眺めるのだ。
部活が終わるのを教室内から見届けると、すぐに校門前まで駆けていって、そこで彼を待つ。
片手をあげて、「待っとってくれてありがとうな」と笑顔を添えて言ってくれる彼が、その瞬間が、とにかく好きだった。
すっかり人気のなくなった校門前に、一人で佇む。綺麗なグラデーションを浮かべる夕焼け空を眺めながら、ぽつんと其処に立っているのは、
少し寂しくて、けれどどこか心が弾むようで、不思議な感覚を毎回伴った。
陽が傾き始めると、校舎から賑やかな笑い声が聞こえてくる。テニス部の練習が終わったことを知らせるように、一際大きな遠山くんの声が響く。
くるりと、体を反転させて、校舎へと向けると、蔵ノ介が遠目で見てもわかる程の笑顔を浮かべて、手を振ってくれるのだ。
それに小さく手を振り返す。
蔵ノ介が、部員たちに何かを告げ、それを茶化すかのように忍足くんが笑いながら彼の肩を叩く。
賑やかな部員の輪から外れて、こちらに向かってくる時の蔵ノ介の笑顔は、あの輪にいる時と少し違って、落ち着いた男の人の顔になる。
その笑顔には、いつまで経っても慣れそうにない。いつだって新鮮で甘い幸せな気恥ずかしさを私の中に浮かべてくれるのだ。
「待っとってくれてありがとうな。」
そうお決まりの台詞を紡ぐ蔵ノ介は、ひどく優しい笑顔をたたえている。
夕陽を背中に浴びて微笑う彼は、いつだってあたたかくて優しかった。
「ううん、いいよ。私こそ、ありがとうね。」
「なんでがお礼言うん?」
「待たせてくれて。部員の人たちと一緒に帰りたかったりしない?」
「あいつらとは、しつこいくらい顔合わせてるんやで。帰りまで一緒やなくてもええって。」
声をあげて笑う彼につられて、私も小さく笑う。
「それに、毎日やないやん。は、ちゃんとあいつらとの時間も俺にくれとる。」
ふわりと、部活をしてきたとは思えない甘くて爽やかな香りが漂ってくる。
香水のそれかと思ったが、どうもそうではないらしい。彼からはいつも自然なあたたかい香りがした。
彼自身の香りは、私を何よりも落ち着かせ、安心させてくれるのだ。
「ほな、帰ろか。」
するりと差し出された手のひらに、己の手を重ねると、彼のおおきな手のひらが私のそれを優しく包み込んだ。
そうして私の顔を覗き込むと、ひとつ深く微笑み「遠回りして帰ろか?」と尋ねた。
「…蔵ノ介、疲れてない?」
「あれくらいの練習で疲れるわけないやろ?それに、」
「それに?」
もう一度深く笑うと、彼は私の頬を空いた手で撫でながら声を紡いだ。
「の顔見たら、めっちゃ元気出てきたわ。」
「蔵ノ介はまたそういうこと平気で言う…。」
「ええやん、ホンマのことやし。」
声をあげて笑う彼が愛おしくて、つい顔が綻ぶ。繋いだ手のひらから彼の温度が私の体内へと流れていくような気がした。
「じゃあ、遠回りして帰ろう?」
「もちろんや。」
夕焼け色に染まる空気の中、足下に伸びる二人分の影すらも愛おしい。
夕焼けの色よりもっと濃い赤いランドセルを背負った子供たちが、高い笑い声を響かせながら私たちの隣を駆けていって、
夕焼けの色を帯びた白い車が、私たちとすれ違っていく。
「子供って元気やなぁ。」
「でも私たちも、3年前はランドセル背負ってたね。」
「そやなぁ、懐かしいわ。」
「もうあと3年したら、今度は車の免許が取れるね。」
「俺が免許取ったら、一番に自分を乗せたるで。」
「あはは、じゃあ期待して待ってる。」
他愛のない話をしながら、一時も離れない繋がれた手が、私たちのこれからを暗示していたら、どれ程幸せだろう。
そう思うと、少し胸が痛いけれど、彼の隣を歩いているとそんな感傷ですら愛せる気がしてくるのだから不思議だ。
「蔵ノ介?」
「なんや?」
「んー、なんでもない。」
「そうか。」
ずっと一緒にいてね、そう言いかけた言葉は、自然と呑み込まれた。
私たちが、こうして手を繋いでいる間は、そして彼がこうして微笑んでくれる間は、私たちの"永遠"は傍に在るのだ。
わざわざ言葉になどしなくても、そんな願いなどかけなくても、私たちはきっとお互いを大切に出来る。
遠回りをして帰ったというのに、ずっと続けばいいと願った時間ほど、早く過ぎていくものらしい。
気が付くともうすぐそこに自身の家の玄関が見えていて、私はひとつため息を吐いた。
(もうちょっと一緒にいたかったな)
そう胸のうちで呟くと、繋がれた手をきゅうと強く握り直される。ゆっくりと視線を蔵ノ介へ向けると、彼は深い笑みをたたえて、空いた右手で私の頭を撫でた。
「また明日会えるから、な?」
「…何も言ってないのに。」
「ため息ついとったし、顔見ればわかるで。」
「…明日まで、長い。」
「我が儘言わんと、離したなくなるやろ?」
苦く笑った彼の唇が、私の額に触れる。鼻腔をくすぐる彼のあたたかな香りが、私の体内を血と細胞と一緒に循環していって、
満たされるような切ないような感覚が生まれていく。
いつだって、一時の別れが寂しくて苦しいのだ、けれどそれすらもが、私たちの大事な時間となっていくのだ。
「ほな、また明日な?」
「うん、また明日ね。」
玄関先でのキスは、一瞬のようで永遠のような、曖昧でそれでも確かに甘い感覚を私の中に残していった。
With you.
一緒に過ごせる時間を抱きしめて