足が竦んで動かなくなって、一歩も歩き出せなくなる時がある。
そう言うとき、私は決まって自己嫌悪の渦に飲み込まれそうになった。
だからその前に、自分は弱くない、今はまだ早い、なんて幾つも理由を付けて、逃げ道を作って、そこに逃げ込んだ。
何も聞こえないように耳を塞いで、何も見なくて良いように目を瞑って、何かを口走らないように口を堅く噤んだ。
己の心に蓋をして、表面にある筋肉だけで幾つもの嘘の表情を創って、笑い怒り泣く私はなんて狡いのだろう。
「…またやっちゃったなぁ、と思って。」
「…いきなり、どうした?」
3月になったとはいえ、まだ寒さを感じさせる風が吹く。そんな中、私と梶は帰り道に必ず寄る公園のベンチに腰掛けていた。
隣に在る梶の体温が心地よくて、つい本音が零れる。
彼を前にすると、いつも嘘がつけなくなった。彼の澄んだ瞳とか、彼自身の誠実な性格とか、そういったものは私にはないものだった。
だからなのかもしれない、彼の前では、いつも素直でいられた。
「…やりたくないことやったり、理想と現実の差っていうの?」
「自分に嘘をつくのって、疲れる。」
そう呟くと、彼はその大きな手のひらで、私の頭を軽く撫ぜた。
「…は無理しすぎなんじゃねーの?」
「…無理してやってるつもりじゃないんだけどね。気付くとそうなってる。」
それは本音だった。決して無理をしているつもりではないのだ。
ただ、気付くと自分の首を自分で絞めるように、苦しい渦中に巻き込まれていたり、作り笑いを浮かべていたりする。
弱いのかもしれない。狡いだけかもしれない。
傷つくのは怖かった。生きていく上で、傷付きたくなどなかった。
辛い思いなどしたくない。そんな気持ちから生まれた世渡り術は、結局のところ自分を苦しめる結果になっていた。
「ねぇ、梶。」
「ん?」
「私って不器用?」
「…どーだろうな。」
ぽんぽんと、私の頭を軽く叩きながら彼は苦笑した。
彼の私に対する動作は、ひとつひとつが優しくて暖かくて、そんなところが好きなのかもしれない。そう思った。
好きという明確な理由はない。けれど、彼の隣は居心地が良いのだ。
お互い、好きだなんて口にしないけれど、いつの間にか梶の隣は私の定位置になって、彼もそれを認めてくれた。
それだけで、十分じゃないか、と思う。
「思うんだけどさ、」
「うん?」
「人って何かしら不器用なんじゃねーか?」
「ふぅん。」
「お前なぁ、その返事はどうよ?」
「梶が珍しくまともなこと言ってると思って。」
「せっかく人が慰めようとしてやってんのに、その態度はねーよ。」
「ありがと、優しいね?」
「おう。」
彼の肩に自分の頭を乗せると、まるで海のような香りが鼻をくすぐった。
彼が付けている香水は、いつも海の香りがした。
深くて広い感受性と、器を持った彼に、その香りはよく似合っていた。
「ま、お前はそのまんまでいいよ。」
「そう?」
「何のために俺が居るんだっつーの。」
ぐい、と引き寄せられて、軽く触れた唇がひどく温かくて柔らかくて。
「恥ずかしいこと言うね、梶?」
「ま、たまにはな?」
少しだけ赤く染まったお互いの頬を見て、笑い合う。冷めているようで、暖かい2人の距離が丁度良い。
きっと人は誰もが、辛く悲しい道を辿らなければならないのだ。時として死すら願うような道を。
それらに悩み、悔やみ、生きるからこそ、人は幸せを感じられるのだ。
彼の言葉は暗にそう言っているような気がした。
隣に人がいる幸せも、今こうして笑える歓びも、全て苦難があるからなのだ。
今までに起こった苦しみも、これから起こるであろう哀しみも、全て幸せに繋げるためのもので。
それは誰一人として逃れられない道で。
そう思えることで、今を更に大事にしようと思える。
それはなんて、ささやかな幸福なのだろう。
徨い辿り着く先
(迷っても立ち止まっても、いずれは進めるから。一時の休止期間を恥じることなんてない。)
迷うことも、止まることも、振り返ることも、戻ることも、何も恥ずかしくなんてない。
そうやって生きていくことは大事なこと。
時間がかかっても、それはそれだけの時間が必要というだけで。
何も、気にしなくなんて良い。
自分のペースで歩けばいい。