行き場のない想いは、いつだって俺の中で血と一緒に体内を循環していた。
体外へ出ていけない想いは、内側でずっとずっと燃え続けていて、ときたま俺の心を抉るようにして痛めた。
伝える気は毛頭なかった、と云ったら嘘になるけれど、彼女との距離感はひどく心地よかったから
別段、伝えることに意味を見いだせなかった。
けれど、俺の内で確かに燃え続けている想いは、どうしてか、ずくずくと不定期に痛むのだった。
(好きだけど、言わなくてもいい気がする。)
そう思うのは、今に始まったことではなかった。ずっと前から、それこそこの気持ちに気付いた時から、永い間ずっと思ってきたことだった。
その考えがよぎる度に、胸は痛んだけれど、俺はそれに気付かないふりをした。
そうすることで、情けない自分自身を楽にしていた。
(俺ってば狡いのな。)
ひとつ苦い笑みを浮かべた時だった。ぽん、と肩を叩かれ、意識が戻ってくる。
「何ぼーっとしてんだよ。」
そう声をかけられると同時に、数学の教科書で、軽く頭を叩かれ、振り返ると元後輩でクラスメイトの泉が無愛想な顔をして立っていた。
「へ?あ、いやー、ねみぃなーと思ってさー。」
へらりと笑うと、泉はため息をついた。
「あのさぁ、おせっかいとは思うけど、言わなくていいのかよ?」
泉はそのまま前の席に腰をかけた。そして俺の方を向き、机に頬杖をついて、小さくため息をついた。
「う、え…ちょっと待て、何の話してんの?」
「え、お前、俺が気付いてないと思ってた?」
「ちょ、ちょっと待て、気付くってまさか…?」
「そのまさか。」
にたり、と意地悪い笑みを浮かべた彼とは、反対に俺は苦笑する。
「…いつから?」
「結構前からだな、お前が誰を見てるかなんて、すぐわかんだよ。」
お前はわかりやすいんだよ、なんて元後輩は可愛げもなく言い放った。
そして睨むように、俺を見た。
「あいつさ、結構人気あんだぜ。浜田は知らねーだろうけど。」
「うっそ、それマジ?」
「マジ。」
彼はやけに真面目くさった顔をして、こくりと一回頷いた。その後、何組の誰々と指折りしながら彼女に気のある同級生、あるいは先輩を上げ始めた。
その中には知らない名前も混じっているし、知っている名前もいくつか挙げられた。その度、俺の胸はいやな波を打たせた。
焦らなければいけないのかもしれない――
そう思わずにはいられなかった。伝えなくても良い、そう思っていたのは事実だ。けれど、もしも彼女が俺以外の誰かと結ばれてしまうのなら、話は別だ。
決して自分が好かれているという自信があったわけではない。けれど、なんとなく彼女と俺の友達というのが相応しくないほどの距離感に、安堵していたところはあった。
「確かにお前ら仲良いけどさぁ、それって男女の友情ってのもあり得るんじゃね?」
あっちは、そう思ってるかもよ。
泉はそう言うと、にやにやと嫌な笑みを浮かべて、席を立った。
(可愛くねーなぁ…新手のイジメか?)
俺は情けなく、ゴツリと鈍い音を立てて、額を机にぶつけるようにして項垂れた。
俺は、彼女が好きで。それは間違えようのない感情だ。
彼女は俺をどう思っているのだろうか―― 友達か、異性として、か。
考えたことがないといえば嘘になるが、別段気にしていなかったことに、今更、ひどく焦燥する。
(そりゃ付き合えたら良いと思う、けど…もし断られたら?あげく今の関係が崩れたら?)
(その時俺はどうしたらいいんだ、同じクラスで、毎日のように顔を合わせるっていうのに。)
もやもやと、悲観的な感情ばかりが脳内で循環する。
深く長いため息を零した時、小さく頭を叩かれて俺は顔をあげた。
「浜田、何してんの?大丈夫?」
具合悪いの?と小さく首を傾げてみせたのは、紛れもなくだ。
(このタイミングで来ますか…)
またため息がもれる。それを見た彼女は、眉根に皺を寄せ、俺の顔を覗き込んだ。
「人の顔見るなり、ため息つかないでよ。」
唇を尖らせ、わざとらしく怒った顔をしてみせる彼女は、すとんと俺の目の前の席に腰掛けた。
そして、上体をこちらに向け、頬杖をつく。さらり、と彼女の柔らかな茶色の髪が流れた。
「ご、ごめん。」
へらりと笑ってみせると、彼女はまるで風のような、花のような、あたたかな笑みを浮かべた。
「で、どうしたの?悩み事とか?」
「はは、何でもないって。大したことじゃねーから。」
当の本人を目の前にして、恋煩いだなんて言えるわけがない。俺は苦く笑い、彼女のあたたかな笑みから逃れるように視線を彷徨わせた。
こんなにも好きなのだ、こんなにも彼女との時間が大切なのだ。
どうして自らそれを壊すようなことを出来るだろう。
彼女はしばらく訝しげな顔をして、俺を真っ直ぐに見つめていたけれど、一呼吸置くと小さくため息をついて、また微笑った。
「まぁ、浜田もね、色々大変なのは知ってるけど。」
「そうそう、一人暮らしって大変なんだよ。」
「あはは、そこなんだ?」
俺の目の前で笑う彼女は、今確かに此処に存在していて、俺の中でかけがえのない位置にいるのだ。
それを失うのは、きっと誰だって怖いはずだ。
けれど――― このままでは、彼女との距離が崩れるより、もっと嫌なことになるかもしれないのだ。
俺以外の誰かと付き合うことになったら、その時、俺はこの気持ちを打ち明けなかったことを後悔することになるのだろう。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。思い立ったら即実行、そんな言葉が頭を過ぎるや否や、俺は声を発していた。
「あの、さ!」
視界の隅にうつる泉がにたりと笑う。嫌な顔するな、と思ったが、口は動くことを止めない。
「ん?」
小首を傾げた彼女の愛らしさに、感情だけがどんどん昂ぶっていく。――くらくらする。
言わなくてもいいだなんて、そんなことを思った自分は、甘かったのかもしれない。
言わなければ、この恋は発展することもなく、かといって明確に終わることもなく、最悪な結末を迎えていたのかもしれない。
俺が教室の中で小さく放った言葉に、彼女は大きな目を更に見開いて、そのあとその頬を真っ赤に染めた。
そうして、そのあと、俺にしかわからない程のか細い声で、「私もです。」と紡いだ。
繋いで絡めて。
「いっずみー、何見てんだー?」
「や、浜田が男になる瞬間を見届けてた。」
「なんだ、それ!浜田、ついにヤっちゃったのか?!」
「ばか、ちげーよ。ほら、あそこ。」
「お?浜田とじゃん、あいつら仲良いよな!」
「ただの友達から昇格したみたいだぜ、浜田。」
「マジで!?」
「マジだって。ほら、浜田のあのにやけた顔見ろよ、嬉しそうだろ?」
「ホントだ。」
「おーい、浜田おめでとーなぁ!」
「えっ、あっ、泉おまえ…っ田島に言っ…―――」
「浜田が教室で告白なんかしてっからだろ。」
「可愛くねぇ後輩。」
「うっせ、今は同級生だろ、元せ・ん・ぱ・い。」
「ーーーーっ!!」
(ほんっとに可愛くねぇ…っ)