例えば世界がすべてモノクロだとして、花も空も車も、そして人も白か黒に分かれているなら、きっと自分は黒なのだろうと思った。
それは理想と現実の混ざった感情から生まれた妥協だった。
過去を受け入れられたわけではなく、未練がないといえば嘘になる。
未来が希望に満ちあふれているとは、とても思えないが、多少の期待はある。
そんな自分はきっと黒だ、白になりたいけれど、なれないことを知っているのだ。
理想と現実の違いを、現実は時として理想を脅かすことを、嫌という程、知ってしまっているから。
「良郎くん、コーヒー飲む?」
キッチンにが立っている。彼女が選んだ色違いのマグカップが両手に掴まれている。
「おー、よろしく。」
目の前で笑い声を響かせているテレビを見るわけでもなく、ただ映しているだけの俺は、ただなんとなく返事をした。
彼女はにこりと一度微笑むと、カチャカチャと音を立てながら慣れた手付きでキッチンを使う。
女の子にしては、少し低い声で綺麗なメロディーを奏でながら、色違いのカップにコーヒーを注ぐ。
狭い部屋に心地よい香りが充満した。
「はい、良郎くんはブラックだよね?」
「おう、ありがと。」
コトリと小さな机の上に、黒いカップが置かれる。
彼女のカップは、白だ。くすりと、自嘲気味な笑みが漏れる。
隣に彼女が座り、小さく細い指でミルクの蓋を開け、砂糖を入れる。そうして白いカップに口を付けた。
彼女が一度笑うだけで、モノクロの俺の日常はほのかに色付いた。
彼女が俺の名を紡ぐ度、世界は鮮やかさを増した。
白く光るような彼女は、いつだって目映くて俺に色を与えていくのだ。
白は酷く汚れやすいから、いつか俺の黒が混じり穢してしまうのではないか、なんて怖くなる。
いつだって白いままで、居て欲しいのだ。
それは説明出来ないような曖昧な不安を帯びて、度々俺を襲った。
「良郎くん、ちゃんとご飯食べてる?」
「ん、ああ、食べてるよ。」
「うちのお母さんが心配してた。」
「そっか、じゃあおばさんに大丈夫です、って伝えておいて。」
「が美味しいご飯を作ってくれてます、って。」
口角をあげて、意地悪く笑うと彼女は頬を紅潮させた。
「自分で言ってよ…。」
恥ずかしいなぁ、なんて呟く彼女はひどく純粋そうに俺の目に映った。
汚したくない、けれど、離したくもない。
いっそ手放すことが出来たら、どれだけ楽か。けれど、この心地よい日常を失いたくないのだ。
当たり前のように色を付けた世界にも、当たり前のように隣に人の温もりを感じられることにも、全て慣れてしまったのだ。
今更、それらを失くすことは、俺にとって恐怖でしかなかった。
「良郎くん…、これ飲んだら私帰るね?」
「え、…あ、ああ。」
ふ、と時計を見ると、既に夜8時を回っていた。彼女といると、つい時間の流れを忘れてしまう。
「…泊まっていけたら、いいのにね。」
俯いて呟いた彼女は、少しはにかんだような笑顔を浮かべていて、俺の中の何かの栓が、ころりと抜けるような気がした。
「…泊まっていく?」
彼女の手を掴み、彼女の澄んだ瞳を見つめ、そう問うと、彼女は一瞬で頬を紅潮させ、戸惑うように身じろいだ。
「…お母さんにメールする…。」
「…ん、そうしな。」
幾度、体を重ねたって満たされない俺の欲求を、彼女は知っている。
それでも、彼女はその度に恥ずかしいと呟き、俺を煽るのだ。
「良郎くん…ご飯は?」
「後でで、いい。」
彼女の額に二度、三度キスを落とし、さらりと流れるような髪を指で梳く。
その瞬間だけは、俺も白くなれる気がした。
いや、彼女を黒く染めようとしていたのかもしれない。
事が終わったあとの彼女は、いつだって新鮮さを感じさせる目をして、俺を見つめた。
そんな彼女を見て、きっと彼女は何時だって、俺の黒がたとえ混じったとしても、白く光るように俺を照らしてくれるんだろうと、何の根拠もなく思った。
清くなだらかに
重ねる
(もっともっと ちかくに かんじたい)