* 悲恋です。
酷く風の強い日だった。
今日こそは、と決めて家を出ると、思いの外強い風に一瞬ひるむ。
気合いを入れていつもより凝った髪型は、すぐぐしゃぐしゃと、まるでこれからの私を表すかのように崩れ始めた。
残ったのは彼に少しでも可愛く思って欲しいと頑張ったメイクだった。
お気に入りのネックレスを首に、一番似合うと思ったピアスを耳に、それぞれ揺らしながら彼との待合い場所に行く。
緊張のせいか、頭がずくずくと痛んだ。いつから、こんなに弱くなったのだろう。そう無意識に思う自分に苛立つ。
こんなの私じゃない、なんて。
彼の言葉ひとつで一喜一憂して、彼の笑顔にいちいち心臓は波打って、
彼の後ろ姿に少し切なくなったり、振り返る彼に安堵したり。
こんな私は、私じゃない、なんて。
自分の中にある確かな恋心を何度振り払おうとしたか。
それでも、確かに存在する彼への恋心は衰えることを知らず、むしろ日に日に増していくばかりだった。
友達ではいやだ。
もっと親しくなりたい、もっと近づきたい、彼を知りたい、彼の特別になりたい。
そんな想いが強くなればなる程、私の心臓はきゅうきゅうと音を立てて縮み、締め上げられて、私をおかしくさせた。
いつから、いつから、私はこんなに欲張りになったのだろう。
電車に揺られ、彼と待ち合わせた場所へ向かう。
耳元で流れるお気に入りの音楽は、すり抜けていくだけ。
頭の中は今日、彼に告げる言葉で溢れていた。
何て言おう、どう言ったら彼へ伝えられるだろう、なんて切り出せばいいのだろう。
良い言葉は見つからないまま、駅へ着く。
ふるえる足で一歩ずつ確実に、彼が待つ場所に近づいていく。
私の姿を捉えた彼は、にこりと笑う。
遠くからでも見えるその笑顔は、誰よりも眩しくて、誰よりも優しくて。
「おはよ。」
「おはよう、ごめんね、待たせたね。」
「ん、大丈夫、そんな待ってないし。」
にこり、と笑みを深くする彼は、きっと私の気持ちに気付いてなどいない。
私がこれから何を言うか、きっと知らない。想像すら、していない。
「で、どうしたんだ?」
「うん、あのね。」
言わなければ、言わなければ。
なんのために、風で壊れた髪の毛をセットし直した?なんのために、いつもよりマスカラを多く付けた?
一番お気に入りのネックレスは、私に似合うピアスは、なんのため?
自分自身を急かす程、言葉は喉に詰まって、上手く紡げなくなる。
私はまるで酸素をほしがる金魚のように口をぱくぱくと無意味に動かした。
「はは、、変な顔。」
からりと笑う彼は、それはそれは眩しくて、好きで好きで仕方なくて、私の恋は爆発して。
「…浜田のことが、好きです。」
するりと飛び出した言葉のあとは、たどたどしく紡がれていく。
彼は一瞬止まって、まじで?と小さく呟いた。
頭がパンクしそうだ。心臓はうるさく鐘を鳴らす。
口にしたことで、溢れ出す想いはとめどなく溢れて零れて、泣きたくなった。
「…でもね、返事は別に今じゃなくても良いからっ、」
「え、っと、いや、その。」
「あのね、フってもいいから、その…本当に、構わないから。」
意識すればする程に、声の震えが増して、握りしめた拳に更に力を込める。手のひらに食い込む、綺麗に伸ばした自分の爪が、痛い。
「…ただ、どうしても言っておきたくて。」
頭が、喉が、心臓が、ぜんぶが、痛かった。
痛くて痛くて、壊れてしまうと思う程に。私はおかしい。こんなにも苦しくなるなんて、きっとおかしいのだ。
「…えーと、ありがとう、な?」
「…ううん。」
「の気持ちは、すごく…嬉しい、です。」
「…うん、ありがとう。」
「でも…ごめん、今は…」
声音から、彼が今きっと苦い顔をしていると、想像出来た。
怖くて彼の目を見ることは出来なかったけれど、きっと私以上に辛い顔をしてるのは彼だと直感で思った。
顔はあげられなかった、握った拳の力は緩まなかった。
涙は 流れなかった
「うん、そう言われるって思ってた。」
下を向いたまま、まだ顔はあげられなかったけれど、顔は自然と笑顔になった。
彼に見せられるような笑顔ではなかったのかもしれない、けれど頬は緩み自然と笑みのかたちをつくる。
慣れた笑顔、嘘つきな私の表情。
その笑顔を浮かべ、やっと顔をあげる。
私よりも泣き出しそうな顔をしている浜田が視界に入る。
辛いのは、私もだけれど、彼もきっと辛い。
「応援団で、今は手一杯、だし…その今は本当そういうの考えられなくて。」
「うん、いいよ。」
「ごめんな、本当に、ありがとう。嬉しい。」
「うん、どういたしまして。」
へらりと、笑みを浮かべると、浜田も少しだけ笑ってくれた。
爪の食い込んだ手の平も、ずくりと音を立てる頭も、千切れそうな程締め付けられた胸も、ぜんぶ痛い。
ありがとう、その言葉に救われた気がしたのは事実だった。
嬉しい、そう言われたことが私にとっても嬉しかったのも本音だった。
けれど、すぐに諦められる恋ではなかった。何時の間にか何よりも強く根付いてしまった想いは、そう簡単に消し去れなかった。
私は束縛なんてしないから
週に何回も会えなくていいから
メールもたまにでいいから
私を優先しなくていいから
―――― だから、どうか特別にして ―――
そんな言葉は、喉の奥に飲み込まれていった。
言えるはずもなかった、それだけの勇気は最初で使い果たしていた。
残った力で出来ることは、ただいつもと同じ笑顔をつくることだけだ。
「じゃあ、また明日、な?」
「うん、また明日ね。」
「ありがとうな。」
「…どういたしまして。」
お互いに笑顔を浮かべて、別れる。
私は駅に、彼はどこかへ。
終わったのだ、この恋は。私の中ではまだ強く残る彼への恋情はしばらくは燃え続けるのだろう。
けれど、彼が終わらせてくれたのだ。それは優しくて、少しだけ残酷で。
好きだった(まだ好きだ)
あの笑顔も、背の高いところも、高低のわからない声も、すべて。
家までの帰り道、耳元で奏でられるお気に入りの音楽は、するりと私の脳に沁み込んできた。
あの時、流れなかった涙は、今更になって零れ始めた。
最後まで崩れなかったメイクは、恋の終わりを表すようにボロボロと崩れていった。
とめどなく溢れる彼への想いを象徴する涙は、ひどく透き通っていた。
時間は過ぎる
(ありがとう、さようなら、また明日)