暗くて空気が淀んでいる。そんな表現の似合う場所にいた。
周りは何も見えなくて、自分の息遣いだけが聞こえる、静かすぎる場所だ。
どこだかはわからない。自分の足が地面に着いているのかもわからなくなってくる。
気が狂いそうで、手を握ったり開いたりと繰り返した。そうすることで、自分にはまだ意思があるのだと実感できた。
そうこうする内に、とてつもない恐怖がじわじわと体中を侵食するのがわかった。
頭の中が濁っていって、何もわからなくなって、ただ荒い息を繰り返していた。
いやな夢を見た。
目が覚めて、そこが自分の部屋だと実感した後、すぐにそう思った。
夢にしては、いやにリアルで気持ちが悪い。
夢の影響か、暗い部屋がやけに怖くて電気をつけた。
明るすぎる光は眩しかったけれど、暗闇よりはマシだ。
ゆっくりと息を吐いてじっとしていると、なぜだか急に寂しくなった。
泣きたくなるくらいに、寂しいのだ。
今は何時だろう。時計に目をやると、時計の針は午前4時を指していた。
もう朝だ、そう思うといくらか気が楽になった。
それでも胸の痞えは取れず、枕元の携帯に指を這わせた。
彼の名前は、電話帳の一番上にある。
今日もきっと朝練のために、もう起きているだろう。少しでいいから、声が聞きたい。
そう思って、通話ボタンを押した。
『もしもし?』
「おはよう。隆也。」
『はよ。なんだよ、どうした?』
「怖い夢見て、早く起きちゃった。」
『んだよ、それ。ガキじゃねーんだから…』
「ごめん…、隆也、これから練習でしょ?」
電話の向こうでぶっきらぼうな声で言葉が紡がれていく。
忙しいであろう時間に、こうして電話を取ってくれる彼の不器用な優しさを知っている。
私には十分すぎる程の優しさだ。
『そうだけど。』
「がんばってね、電話取ってくれてありがとう。」
『おお。…もっかい寝ろよ、あと二時間は寝れンだろ。』
「…ありがと、また後でね。」
プツリと音を立てて電話が切れる。
空は夏らしく、もう明るくなっていた。
カーテンを開けて、電気を消した。
心地よい明かりが部屋に差し込む。窓を少し開けて、息を吸い込んでから、もう一度ベッドに寝転んだ。
微唾む意識の中で、彼の声が響いていた。
もう暗闇じゃない。淀んだ空気でもない。
「おはよう、隆也。」
「おお、はよ。」
「朝、ありがとね。」
朝練を終えた彼の背中を見つけて、声をかけるとぶっきらぼうな声が返ってきた。
春よりも精悍さを帯びた顔立ちは、前よりもずっと日に焼けている。
「いいけどさ。怖い夢ってどんなだったんだよ。」
問われて、今朝の夢の内容を端的に話した。
具体的に何が、というわけではない。ただ、なんとなく怖かったこと、寂しくなったこと、声を聞きたくなったこと。
「でも、二度寝したら隆也の夢見たよ。」
「は?」
「夢に隆也が出てきたの。内容まで覚えてないけど、隆也が出てきたことだけ覚えてたから。」
とてもあたたかい夢だったように思う。
ぼんやりと覚えている夢を思い返しながら、言葉を繋げた。
「だから、ありがと、隆也。」
「それは別に俺に礼言うことじゃねーだろ。」
「そうかな。」
「ったく…。」
遅れるぞ、と言いながら先に歩いていってしまう彼を早足に追いかける。
空は、きれいな水色だ。
何もかもを晴らしていってくれるような、透き通った色。
もう暗闇じゃない。もう怖くない。
硝子玉
(きっと何もかもが透き通っている)