夏が過ぎると、いつも可笑しいくらいに泣きたくなる。 秋は好きじゃない。 木の葉が落ちていく様も、落ち着いてくる気温も、夜になると肌寒くなるところも、やけに高い空も。人肌が恋しくなって、いけない。
独りじゃ生きていけるわけない。 一人でいることが好きでも、独りじゃ生きていけるわけがない。 誰かと関わって、誰かに救われながら、生きていくのだ。それくらい、あまり頭の出来が良くない私でもわかる。

悩みがなさそうだね、とよく言われる。 これといった悩みはすぐに浮かばないから、きっとそれは間違っていない。 けれどその言葉は、なぜだかちくりと胸に刺さってしばらく抜けない。ちくちくと断続的に痛みだけが続く。 不快じゃないけれど、なんだか少し悲しい言葉だと思った。

隆也の家は、私の家から徒歩で1分もない。もっと云えば、お隣さんだ。インターホンを鳴らすまで30秒もかからない。 高校生になって、西浦高校に行って野球をしていると聞いた時、相変わらず隆也は野球馬鹿なんだなと思った。 年頃になると、親同士の交流はあれど私たちの関わりはあまりなくなった。 それでも私は野球をしている隆也がなんだかんだ好きで、隆也から野球を取ったら何が残るんだろう、なんて失礼なことを考えたりもした。

陽が暮れて、夜も更けた頃に自転車のブレーキの音が聞こえると、隆也が帰ってきたんだなと思う。 お年寄りが多いこの辺で、こんな夜更けに自転車の音をさせるのは隆也くらいだからだ。 網戸を開けて、窓から顔を出すと、隣の家の駐輪場にぼんやりと動く影が見えた。 ゆったりとした動きで、自転車の前かごから大きなスポーツバッグを取り出している。
(やっぱり隆也だ。)
机の上に置きっぱなしの携帯に手を伸ばし、着信履歴をずっと遡って隆也の名前を探した。 隆也と最後に電話をしたのは半年前だった。メールをしたのは、確か3か月くらい前だ。 発信ボタンを押して、携帯を耳に寄せる。 駐輪場にいる隆也が携帯を開く。その仕草が、あまりに訝しげで思わず吹き出しそうになった。 液晶を見た彼は、ゆっくりと顔をあげて首をこちらに向けて、この部屋を見上げる。 私が無言で手を振ると、宵闇の中でもわかるくらいに気だるげに彼は腰に手を当てた。 そして同じように無言で、「降りてこい」と手で示した。

深夜は、なぜだかわくわくする。音を立てないように玄関の扉を開けるなんて、一種のスリルを感じさせた。 そぅっと玄関の扉を開くと、玄関の塀に彼が寄りかかっていて、こちらに顔を向けるなり小声で私を叱りつけた。
「お前、何してんだ。こんな時間に。」
「うん、ごめん。久しぶりだね、隆也。」
「話聞いてた?確かに久しぶりだけど。」
半年ぶりに聞く隆也の声は相変わらずぶっきらぼうで、冷たい。けれど、今日の気温よりはあったかい気がした。
「ごめん。」
「別にいいけど、なんかあったのか?」
「なんもないよ。ただ隆也が見えたから。部活楽しい?」
「楽しい…だけじゃねーけど、まー楽しいよ。」
「そ、か。」
街灯に照らされた隆也の顏が、笑みを作っていた。 本当に野球が好きなんだなと思わせる笑顔に、やっぱり隆也から野球を取ったら何が残るんだろう、と頭の隅で考えた。

「なあ、やっぱなんかあったんじゃねーの。」
そんな失礼な思考回路を絶つように、隆也の鋭い声音が私の聴覚を刺激した。
「なんもないって。どうして?」
「どーして、って…おかしくね?こんな時間にお前が俺と会ってるのって。」
「おかしいかな?…おかしいかも。」
秋のせいだと一言で言えたら楽になれるだろう。やっぱり秋は好きじゃない。 独りじゃ生きていけないと思い知らされる。独りで生きていきたいわけじゃなくても、目の前に振りかざされる途方もない現実に打ちのめされそうで怖くなる瞬間がある。 これが人の云う悩みになるのなら、私に悩みがないなんて嘘だ。悲しい言葉は、もう欲しくない。 ぼんやりと彼の後ろにある星空を眺めていると、瞬く星々はまるで宝石みたいに輝いていて寂しくなった。

おおきく息を吸う音がして、隆也を見ると欠伸をかみ殺していた。
「ごめん、眠いのに。」
「おお…、なんもねーなら、いいんだけどさ。」
目をしょぼつかせて、眠気のせいかいつもよりおっとりした口調で隆也は続けた。
「まぁ…なんつーか、今度時間ある時に、昼間な、話聞いてやるから。」
「うん、ありがとう。」
「だから今日はもう寝ろ。」
「…はい。」
よし、そう呟いて、隆也のおおきな手のひらが私の頭を撫でた。 伝わる隆也の体温で、彼の眠気が私にまで移ったように、ふわふわと私を浮かばせる。

「おやすみ、隆也。」
「おやすみ、…。」

そう言って、低く囁かれた自分の名前は、まるで宝石みたいだった。


存在の証明

(ぶっきらぼうな優しさを私は知っている)