ズキズキと痛む心臓は、きっと彼に焦がれることを良しとしない私のひとつの気持ちの表れだ。
「阿部、先生がこれ。今日日直でしょ?」
「おー、サンキュ。」
ぶっきらぼうに、ただ一言で会話が終わる。彼のそれはいつも他人を寄せ付けないような一種強制的な含みを帯びて聞こえた。
私はその強制的な言葉に、いつも負ける。
その度に、ズキズキと痛む心臓は、回数を重ねるごとにひどく痛むようになった。
彼を好きでいてはいけない、そう否定するのは私だ。
けれど、彼を好きな気持ちは心の奥底でただ燃え続けていることを知っているのも私だった。
もっと彼を知りたい、けれど知りたくないと思う矛盾した気持ちは一体どこから沸いてくるのか、私自身が理解出来なかった。
ただ毎日、斜め前の席に座る彼のうなじを、指先のひとつひとつの動作を眺めていると、なんとなくこの想いの行き先は何処にもないのだと、思った。
悲劇のヒロインぶる自分が気持ち悪い。
けれど、彼にこの気持ちを伝えたところで、何かが変わるわけでもない、と、確信じみた憶測を私は拭えなかった。
「おい、。」
「はい?」
突然、頭上から声が振ってきて顔をあげると、先ほどまで自席で頬杖をついて外を眺めていた阿部が目の前に立っていて、
その威圧的な仏頂面をこちらへ向けていた。
「お前さ、俺のこと嫌い?」
「…え?」
「いや、嫌いっつーのはおかしいか…、…苦手か?」
眉間に寄せた皺を、より一層深く刻ませながら、彼が頬をひとつ掻いたのを、どこか空虚な自分の視界に捉える。
唐突な問いかけは、あまりに私を混乱させ、頭の中の歯車が音を立てて軋んでいくようで、少し目眩さえ覚えた。
暗いようで澄んでいる彼の瞳は、真っ直ぐに私を見据え、他の何をも遮断するような色合いを浮かべている。
彼の瞳からでさえ、強制的な何かを感じるのは、彼の魅力であり、長所であり、短所であるのだろう、なんてほんの一欠片残った冷静な部分で思った。
「どーなんだ?」
もう一度ゆっくりと尋ねられ、慌てて声をあげると、それは上ずって情けのない音になった。
阿部はそれに苦く笑うと、瞳や言葉の節々の鋭さには似合わない、酷く柔らかい仕草で首を傾げた。
「…苦手…なの、かな?嫌いじゃないけど…。」
そう呟くと、一際おおきく胸が痛んだ。
苦手と云えばそうだったのかもしれない、けれど、それを越えて彼に近づきたいと、彼を知りたいと、思うのもまた事実だった。
行き場のない恋情は、私の到る所を刺激し、まるで棘のように刺さり私を内から壊そうとする。
「あー、なんつーか、俺のこと怖い?」
目の前に立つ阿部が、意外と太く逞しい指で己の頭を掻きながら尋ねてくる。
どうして彼がそんなことを私に尋ねるのか、理解は出来なかった。
答えなど私自身がわからないのだ、ただひとつ云えるとすれば、彼は私にはないものを幾つも持っていて、私はそれにひどく焦がれるのだ。
威圧的な言葉も、鋭い視線も、自分にないものだからこそ、それを向けられると怯むのだ。そうして次の瞬間には惹かれるのだ。
「…怖い、のかもしんない。でも、阿部のことは嫌いじゃない。」
むしろその逆なのだ、嫌いじゃないのだ。それは間違いなく恋情なのだから。
「そっか。…俺さ、目つき悪ぃし、口調もキツイからな。」
苦く笑うと、続いて彼はゆっくりとその薄い唇を動かして、少し低い特徴的な声で言葉を紡ぎ始めた。
「俺のこと嫌いじゃねーなら、いいや。変なこと聞いて悪かったな。」
いつもと変わらない仏頂面で、威圧的な声音で、強制さを帯びた口調で、彼はそう会話を切った。
くるりと背中を向けられて、痛むのは紛れもない私の心臓。
ずきずきと、一回一回が刺さるように、苦しい程に締め付けて離れない。
「…阿部っ!」
「なに?」
振り向いた彼の、変わらない仏頂面を、しっかりと見据える。
あがりがちな眉と、反対に垂れ下がる目元。怪訝そうに寄せられた眉根に怯むのに、どうしてか愛おしさだけが募っていく。
「私はもっと阿部のこと知りたいって、思ってるよ。」
「…、サンキュ。俺ものこと知りてーと思ってるよ。」
片眉だけを下げてくしゃりと微笑う、初めて見せられる表情に一度おおきく鳴ったのはきっと恋を発展させていく音だ。
苦しい程に痛んだ心臓も、ずきずきと断続的に続く感傷と煽情も、そのうちに今よりおおきな恋情となって私の眼前に現れるのだろう。
なんとなくそう想像すると、未だ止みそうにない痛みも愛おしく思える気がした。
ずきずき
(逃げられないところまで好きになってしまった)